面白い舞台を観たい。
と思うのは誰しもそうで、「つまらないやつをいっちょ観に行こう」と思う人は、まあいない。「あの劇団はいつもつまらないから最高だよね」とか、「あそこの舞台の眠気は格別なんだよ」なんていう人はもう相当な演劇通……なのかな?
そういうわけで、みんな面白い舞台を観に行こうとしてるんだけど、じゃあ、「面白い」って、なに?
パインソー「フリッピング第1話」は、その問いに、明確な答えを用意している。面白いってのはつまり面白いってことで、とにかく明るく、笑えて、劇場でたくさんの人と一緒に観て楽しく、小難しい分析も批評もいらなくて、「ね、ほら、楽しいでしょ?」という面白さだ。
特に大事なのは、たくさんの人と一緒に観て楽しむ、という点。舞台を観てると不思議なもんで、自分ではそんなに面白くないのに、周りの観客に引っぱられて笑ってしまったり、あるいは他の人たちと一体になって、まるで示し合わせたかのようにクスリともしなかったりする(あの、ウケなかった瞬間の、エアポケットのようにぽっかり空いた時間、そして空間を、なんて呼べばいいんだろう?)。
今回「フリッピング第1話」は、1人でニヤリと笑うよりも、みんなでワーワー笑えるようなネタがたくさんで、(やや?)下品なところもあったりして、それはもう、いっそみんなで笑っちゃおうよ、っていう舞台だ。
生の人間が、目の前でここまでやってる。声をあげ、エネルギーを放出させ、**を食べたり、**を飲んだり、出したりしてるんだから(お芝居上ね)、もう、一緒に楽しむしかない。
……ところで、この文章は観劇後の人も読むだろうから、まあ、そんなことを必要とする舞台じゃないのだけど、あえてちょっと分析してみると、これは結局、「不在」の物語だ。あ、ここからは観劇後の人のみ読んでください……
というわけで、おもちゃ工場は1人をのぞき全員死に、風間の父も死に、のちに現れる女の子も父が死んでいる(その子にまつわる物語は、彼女の中にある不在感を埋める作業だ)。で、引きこもりだった従業員は、好きなバンドが解散していなくなってしまう(不在になる)ことを知り、ロッカーにこもって彼女自身が不在になる。
そう考えると、この物語の主人公(?)がなぜあのような設定なのかもうなずける。彼は生き残る幸運を持っている人間で、童貞を失っていないという、不在(ない)とは逆側の”ある”存在なのだ。だから彼だけが、不在感を持つ人間の心を埋めることができたのだ……というのは、うがって見過ぎなのかもしれないね。
公演場所:BLOCH
公演期間:2015年7月25日~8月2日
初出:札幌演劇シーズン2015夏「ゲキカン!」
text by 島崎町