クシャミをした役者を見たことがない。
僕の観劇回数が少ないだけだろうか。舞台上で、演技ではなく、プライベートな生理現象として出てしまったクシャミというのは、まだない。
セキはあったような気もするけど、どの舞台の誰が、となると全然記憶にないので、本当は見ていないのかもしれない。ちょっと下品になるけど、オナラとかゲップとか嘔吐とかも見たことがない。
なにを言いたいのかというと、役者は舞台上で、すごくいろんなものを制御してるんだな、ということだ。だって客席と比べてみればいい。観客はクシャミもするしセキもするが、役者は皆無だ。
なんか、こういう風に書き出してしまうと、まるで僕が観た回の「蒸発」で、役者がクシャミをしたみたいに思われそうだけど、全然別に、そういうことはなかった。ただ、見ていて思ったことは、なんか、目の前の役者たちが、今にも普通にクシャミをしそうだし、セキをしそうだし、オナラもゲップも嘔吐もしそうなのだ。
これはすごいことだと思う。これが世に言うintroのヌルヌル感? ぺちょっと感? なのだろうか? 他人の家にポンと放り込まれて、家庭内の生々しいやりとりを見せられている感じ、あの居心地の悪さ(比喩じゃなく、物語もそういう内容だった)。クシャミもセキも制御されてる役者たち、ではなく、今ここにいる人間の、生の会話のようにだんだん思えてくる。
でも、それはけっして、心地いいものではない。むやみに自分と照らし合わせてみたり思い返したりして、嫌な気分にもなる。
そんな僕たちの心をいやしてくれるのは、なんといっても上杉さんだ。ホント、上杉さんがいてくれて良かった……なんて書くと、この舞台を未見の人は、いったいどんな人のことだと思うだろうけど、人ではなく犬なのだ。舞台となる家に飼われている犬、それが上杉さん。大きな体としめった毛、そしてなぜかメガネ。
上杉さんは登場人物たちを、極度に高まった緊張感から、奇妙な鳴き声で解放する。登場人物のほとんどが上杉さんには好意的だ。観客も、上杉さんがいるとホッとするし、いなくなるとさびしい。まるで、あの家の人たちが、末の娘のみーちゃんを思うのと同じように……。
そうやって、いつの間にか観客は、登場人物たちと共犯関係にさせられてしまっていた。怖い舞台だな。
公演場所:ターミナルプレザことにPATOS
公演期間:2015年8月6日~8月14日
初出:演劇シーズン2015夏「ゲキカン!」
text by 島崎町