地獄の門が開いたのだ 風蝕異人街『邪宗門』

地獄の門が開いたのだ。

札幌の地下奥深く、アトリエ阿呆船と名づけられた空間で、暗黒と邪悪と呪術と寺山修司の血脈を絶やすことなく活動していた風蝕異人街は、それまでも札幌演劇界隈では知られた存在で異質な輝きを放っていた(初めてアトリエ阿呆船の長く深い階段を降りていくときには足が震えたものだ)。

そうして風蝕異人街のもと、札幌のアングラの火は芸術という暗闇の中でいつまでも孤高に灯されつづけていく……はずだった。

だが演劇シーズンがそれを解き放ってしまった。門が開けられてしまったのだ。2015年夏、風蝕異人街はアトリエ阿呆船から動き出し、別の長く深い階段の底に現れた。シアターZOOだ。演劇シーズンの一作品として上演された『青森のせむし男』は初日をまたずして全公演前売り完売。人々は暗黒の虜(とりこ)となった。

おぞましいのだけど美しい、見たくないのだけど見てみたい、光と闇、正と邪、善と悪、男と女、老女と少女、すべての境界はもろくも崩れ、ただひたすら、声と肉体が叫ぶ。寺山修司が描いた世界の、そのさらに向こうまでも視野に入れた意欲作に、観客は眼差しをうばわれ、心を絡め取られ、もう二度と観る前の自分には戻れなくなってしまっていたのだ。

あれから1年半、地獄の門は閉じてはいなかった。2017年冬、今度は琴似に現れた。『青森のせむし男』と同じく寺山修司の魔書『邪宗門』。初日、開場したばかりのコンカリーニョに入って、魔力は衰えるどころかいっそう勢いを増してると知った。

荘厳で呪術的な音楽、あきらかに焚きすぎのスモーク。もうもうと煙るその奥には、すでに半裸の狐女が身をうねらして待っていた。開演までの30分間からすでに舞台は始まっているのだ。この開場時からの雰囲気を感じずして『邪宗門』を観たとは言えないだろう(惜しむらくは15分後に流された演劇シーズンの宣伝VTRが仕方がないとは言え場違いだったことと、前説に怪しい雰囲気がなかったことだ。それは前作『せむし男』でもそうだった)。

さて本編だ。前作『せむし男』が(比較して)ストーリー的だったのと違い、今回は音楽劇。パンフレットに「呪術音楽劇」と書かれているが、まさに呪術的。肉体と脳髄にドロドロ入りこむ調べにのせて、肉欲ゆえに母を殺そうとする子という、姥捨てを表層とした物語が進んでいく。

しかしそれはあくまでも表層で、徐々にその奥底にあるものまで迫っていく。劇や物語、作者や人類の起源にまでさかのぼり始めたとき、一瞬、地獄の門の中が見える。

決して追いやすいストーリーだてでなく、ともすれば歌詞も聴きとりづらく飲みこみにくい部分もあり、一筋縄でいかないと思う人もいるかもしれない。

しかしこれは体験だ。目の前で自分たちと同じ空間で起こっている出来事を見つめ、聴き、肌で感じるしかない。最後は必ずガツンと殴られた感覚で舞台は終わるだろう。

しかしそれは本当の終わりではない。いずれまた、どこかの場所に現れるだろう。そのときは一カ所ではない。数十人が参加したこの舞台はそれぞれが暗黒の子種を宿しているのだ。これから札幌じゅうで、いや北海道じゅうで、いや世界中でアングラの胎児が育ち産声をあげていくのあろう。地獄の門が閉じることはない。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2017年2月18日~2月15日

初出:札幌演劇シーズン2017冬「ゲキカン!」

 

text by 島崎町

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