僕たちを巡る笑撃のアレゴリー 札幌座『象じゃないのに…。』

オリジナルではないのに斎藤歩の代表作とも言える作品に「亀、もしくは…。」という傑作劇があります。とあるサナトリウムで自分のことを亀だと思い込んでいる患者をめぐるお話で、ハンガリーの作家・カリンティが原作なのですが、もう斎藤のオリジナルと言えるほど国内外で上演され続けています。韓国の若い女性作家が書いた「そうじゃないのに…。」を原作にした「象じゃないのに…。」初日ならではのバタバタや粗さはいなめかったのですが、本を改編しながら再演を繰り返すことで「亀」のように大きく磨かれ成長するであろう「原石」の輝きを感じました。二足倒立でパレードする象たちの反乱劇。あろうことか、暴走した一頭のゾウが選挙戦真っ只中のタカナシ現職道知事を巨大な足で踏んづけた挙句、長い鼻で投げ飛ばすという悲劇が…。容疑者として事情聴取を受けている飼育員(川崎勇人)と精神鑑定医(山野久治)、政治的テロだと頭ごなしに疑ってかかる警視庁からわざわざやってきた公安刑事(斎藤歩)、仲間外れにしていた同僚の飼育員(佐藤健一)、そして溺愛しているのか支配的なのかダブルバインド的な母(原子千穂子、和装が暗喩っぽい)と登場人物は5人。社会風刺や政治ネタを扱う芝居はおそらく二兎社の永井愛を除けば、たぶんないのではないでしょうか。韓国の政治状況や社会の在り様、また母と息子の関係性など日本と大きく違っていると思うのですが、プロデューサーの木村典子が素訳した台詞を斎藤は見事に日本社会に蔓延している「まやかしっぽい政治風景となんとなくこれでいいのか閉塞感」という現在劇に見事に脚色して魅せてくれました。とにかく台詞が作り出すみょうちくりんな状況に笑えます。観客の予測をことごとく突破していくひねりと、山野の十八番とも言えるいかがわしさ、原子の飛び道具加減が観客をいつのまにか劇の現実と虚構の境界線を曖昧にしていくのは見事というしかありませんでした。役者で言えば、東京乾電池の川崎がほぼ台詞らしい台詞を与えられないまま(後半に芝居場はもちろんありますが)アダルトチルドレン的な30歳チェリーボーイを熱演。札幌座では、いつも独特の間合いで芝居に入ってくる佐藤ですが、見事に台詞を舞台に置いて色気を立てていました。素晴らしい芝居は強運を持っています。直前には海の向こうの米トランプ大統領が、自分の疑惑を握ったかも知れないFBI長官の首をいきなり切るという前代未聞の乱心劇がありましたし、お隣の韓国では新大統領が決まった翌日がなんと初日でした。さらに、初日が開こうかという午後には、小池東京都知事が東京五輪を巡って都外会場の仮設施設整備費を都が全額負担するという大見得を切っていました。もっとも、僕たちがこの劇に学ばなければならないのは、いつのまにか成立しかかっている共謀罪やあからさまな憲法改正に鈍感になっていないかということかも知れません。もちろん、そのような明示的拳を斎藤は振り上げてはいないのですが、アレゴリーとしてうっすら背景に感じるのは僕だけでしょうか。ちなみに、象が踏んづけて鼻で投げ飛ばし瀕死の重傷を負わせたタカナシ道知事は、どうみてもどっかの、ほら、あの知事としか思えませんでしたけれど。象が正論として放つ最後の台詞が印象的でした。

5/11(木)初日 ZOO

text by しのぴー

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