「60分で終わりますので、終わって外に出たら飲み屋の灯りがいい感じになっていて、ちょっと一杯飲んで帰るのにピッタリなんですよ。今後はそういうスタイルでいこうかと」とは、演出家・こしばきこうの前説。なるほど60分という尺は大変見ごろで楽しめた。「ストーリーがよくわからないけど面白かった」と感じるためには、この長さにまとめることが重要なのかもしれない。
チェーホフの『三人姉妹』を扱いつつもストーリーとしては別物に仕上げたこの作品、シーンをそのまま演じているのは冒頭、原作のラストとおぼしき三人姉妹の語りの場面のみ…のような気がする。細切れにされて入れ換えられ、潤色され、物語は劇中劇や回想(妄想?)を混在させて展開していく。原作を良く知っている人なら演出家の意図がわかるのかもしれないが、うろ覚え以下の私にはサッパリつかめない。
けれど、さすがはチェーホフ。バラバラになってもセリフには「ああ、確かにそうだ」と思わせる含蓄があり、場面に説得力を与えている。そして風蝕異人街独特の、地の底から出てくるような低い声での語りが、そのセリフにとてもマッチするのだ。
作品冒頭では、逆トライアングルに配置された椅子に姉妹が座り、微動だにせずに言葉を発する。もうこのシーンがいい。迫力。そして作品のキーワードとなるイリーナのセリフが登場する。「わたし、わかってた」。
「演出ノート」でこしばきこうは、婚約者の思いがけない死を知って発せられるイリーナのこのセリフについて「演出家の私はそのリアリティのなさに、思わず『嘘だ』と言ってしまう」と書いている。ええええっ! こう言わざるを得ない心情、とても納得できますが…と思ったのだが、「それは表現のアヤというもので、疑ってみせる発想から作品を作ります、面白いでしょ、ということでは」と、感想戦でのやすみん女史。なるほどそうなのか…?
わからないことは多いのだが、女優の競演が魅力的で引き込まれるシーンが多い。特に掘きよ美と三木美智代の掛け合いは、喰った入りもはずしも自在で、聞かせてくれる。売り子イリーナ役のこいけるりも、天然でルンルンはずんでいるようで案外したたかなキャラを、魅力的に演じていた。
虚実のわからぬ奇妙な物語から醒めて劇場の外に出たら、演出家の予告通り、軽く喉を湿らせてさらりと帰宅するのにふさわしい時間だった。現代の小劇場演劇の楽しみ方として、確かにこの方向はアリだ。忙しい毎日の中で1時間だけ異世界を体験し、小腹を満たし、明日に負担のない時間に電車に乗る、という。
そりゃ時には力の入ったフルコースも食べたいけれど、日常的には…ね。
日時/2017年6月16日19:30
会場/アトリエ阿呆船
※『三人姉妹』、名作だけあってアレンジした作品も多いよう。岩松了『「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語』、坂手洋二『上演されなかった「三人姉妹」』との着眼点の類似について、ご存じの方に教えていただきたいと思ってます。
text by 瞑想子