見応えのある不条理心理劇 下鴨車窓『渇いた蜃気楼』

久々に芝居の醍醐味を味わいました。劇の冒頭から猛暑の気だるさとどこか秘密を抱えているだろう、まだ本当の意味で夫婦といえない男と女が登場します。2人とも40歳ともう決して若くはありません。亮(藤原大介)は工場で働いていたのですが現在は失業中で、パートタイムで働く真澄(大沢めぐみ)の収入で暮らしています。猛暑続きで川は干上がり、亮の仕事は自衛隊の給水車からもらった水を入れた満タンのポリタンクを二つ抱えて坂の上にある安アパートの2階の角にある(川と街並みが望める)自分たちの部屋に運ぶことだけ。移動手段の自転車は盗まれてしまいました。なんだかチグハグな状況の中、最小限とも思える台詞で静かな芝居が、間を置きながら進みます。作・演出の田辺剛のいう「言葉の周辺」に撒かれた空気感が観客の想像力という嗅覚をくすぐり、グイグイと引き込まれます。そこに、NHKの集金人である20数年前の訳ありな旧友、雄二(高杉征司)が異物として登場すると劇は静かですが一気に動き出します。真澄と雄二は、下手に開かれれた舞台上の想像の窓から、遠くのものが見える、見えない。川辺でキャンプに興じてる高校生カップルたちの花火が見える、見えないという微妙にズレている会話の中で、かつて二人は性的関係を持っていたことが暗示されます。名作『ミスティック・リバー』ではないのですが、故郷で起こった濡れた花弁のような小さな秘密を丁寧に剥がしていく田辺の作劇とそれに応える役者たちの力量も素晴らしいです。ヒリヒリとした蒸し暑い地方都市の安アパートのいうある種の密室が、観客をほの暗い迷路に誘ってくれました。不条理に満ちた心理劇といっていいでしょう。現実を先送りしていたともいえる亮と真澄の行方は、最終盤で真澄が放つ何気ない台詞でかすかな希望を示して終わります。解釈はいろいろあってよいでしょうし、だからどうだということではないのですが、この二人にとってはささやかだけれども大切なことだったのです。この男と女は夫婦としてようやく前に進むことができるだろうという不安げながらも、でもより確からしい日々にたどり着けるかもしれないという余韻を残しました。劇全体の転がし方と語り口の巧みさが一際印象的です。タイトルにある蜃気楼の台詞は、極めて美しく真澄の口から放たれ、道端に転がっているカラスの死骸のそばに私たちの日常が淡々と紡がれているというこの劇の在り様を見事に手仕舞いしてくれます。やはり、劇とは舞台と観客との間に現れる想像力という奇跡のようなものだと感じ入りました。美術も特筆すべきでしょう。乱雑に散らかっているようでも、当事者には意味があるのです。その中心から少し外れたところで静かに回っている扇風機が、気味の悪い閉塞感に満ち、いつも現実という水を汲まなければならない渇いた現代劇であることを訴えているかのようでした。

7/2(日) マチネ千穐楽 ZOO

text by しのぴー

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