静かに爛れていく話 下鴨車窓『渇いた蜃気楼』

30代の私には、「(意外と)爛れた話」に見えました。

 

無気力な夫婦の元に、突然現れた元・同級生。

3人の間に、何か特別な事件が起きるわけじゃない。

昔の出来事をちょっと仄めかされて(山に死体を埋めた等の酷い過去かと思ったら、全然そんなことなく…)

同級生が帰った後は、また日常が過ぎていく。ただそれだけ。

 

でもその、なんてことない出来事が澱のように溜まって、今を生きる人にまとわりつく。

まとわり続ける話なのかな、と。

20年以上前の話を、ついこの間のようなテンションで語っていることに違和感があったけど、今回の元・同級生の事も、夫婦の足元に散らばる過去の一つになるわけで。

〈山〉っていう単語に反応するように、〈暑い日の突然の訪問者が鳴らすブザー〉に彼らは不安を感じるようになるだろうな…多分。

 

登場人物の3人が3人とも、自分の見ているものしか話さない。

思い返してみると、3人のうち誰か一人の台詞だけを取り出してみても、ちゃんと話の筋を追えるんじゃないだろうか?と思うくらい、独り言×3みたいな会話しかしていない。

仮にも夫婦の会話が、こんなに噛み合わないものかな?と思ったけど、自分の事だけをポツポツ話していた二人が、過去の事故を話している時だけ初めて夫婦に見えるのも皮肉。

 

全編を通して漂っているのは、なんだろう…諦念?

生きることに足掻きもせず、ただ沈むに任せていく中年の話に、今の私には見えました。

登場人物と同じ様な年齢になったときには、また違った話に見えるのかなぁ。はてさて。

 

7月1日(土)13:00~ シアターZOO

text by うめ

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