[招待企画]会話の「間」とリアリティ 下鴨車窓『渇いた蜃気楼』

音のない芝居は結構好き。会話の「間」が、私に考えさせてくれる時間と色んな解釈を許してくれる幅を持っているように思う。
場面はずっと亮と真澄の部屋、そこで繰り広げられる会話が単調で少し冷たいように感じる。でもきっとそれがリアルなんだと思う。互いの会話に興味あるかどうかもわからない返答をし、それでも時間は過ぎ去る日常が描き出されていた。
雄二の登場はそんな二人にどんなインパクトを残したのか。最初と最後のシーン、二人の会話に微妙な変化があるように私は感じた。別に劇中でそうした変化を特別教えてくれるわけではない、だから私がそう勝手に思っているだけである。
でも、そう考えさせてくれたのは、3人の登場人物それぞれの過去や背景を思わせる会話の「間」とリアリティにあったんじゃないか。終盤、真澄がカラスの死骸から目をあげるとその先に亮がいた、というのはただの事実なのかもしれないが、それは確かに真澄だけの目線である。まるで、真澄にとって亮は「死」と切り離せない関係であることを感じさせるようであった。どの登場人物の立場にも入り込めそうな良い劇でした。

投稿者:じゃーじー

text by 招待企画ゲスト

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