【特別寄稿】神谷演劇賞発足の経緯 寄稿者:神谷忠孝

私は1995年から厚別区の住民となり、映画館のサンピザが劇場となったとき、平田修二さんの提唱で「サンピアザ劇場で芝居を観る会」が発足し会長を引き受けました。会は5年後に解散したのですが、残念会の席上でまたもや平田さんから演劇賞が提案され、喜んで承諾したのは5年前です。演劇大賞には副賞10万円、奨励賞には2万円(商品券、副都心公社から)です。劇団千年王國が2回、座・レラと厚別高校演劇部が1回ずつ大賞を受賞しています。

私は帯広三条高校から北大に進学して日本近代文学を専攻し、大学院を修了して帯広大谷短大に3年間勤務していた時、十勝地区高校演劇大会の審査員となり演劇ファンになりました。1970年から中央大学で教えたのですが、唐十郎や寺山修司が活躍した時代に遭遇したのは幸運でした。1976年から北大文学部に勤め、北大演劇部の青テントに出会いました。この時活躍していたのが斎藤歩さんです。

「札幌演劇座会」の会長になり、地元の演劇を盛り上げようと賞金5万円を一年に一度、勝手に表彰する行事は6年間続きました。2回目は斎藤歩主宰の「魴鮄舎」が受賞したのですが、授賞式で斎藤歩さんが、座会の会員に北大の教員が4人いることに文句をつけ、青テント撤去に賛同した北大関係者から表彰されるのは嬉しくないと発言したのが印象に残っています。演劇人の反骨精神を支援する行動をこれからも持続するつもりです。

寄稿者:神谷忠孝

text by ゲスト投稿

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