異界の童子に救いを求めて 弦巻楽団『ナイトスイミング』

演劇は生モノだし、観客も生モノだ。つまり双方のコンディションによって見えるものが変わってしまう。
珍しいことに、私は寂寥に捕まっていた。普段は追いつかれない速度で生活しているし、不意に現れても無視したり飛び越えたりしてやり過ごしているのに。ちょっとした失望をきっかけに、あれれ、気が付いたら背負ってしまっていた。
だから『ナイトスイミング』の観劇予報に書いた「無限の宇宙の孤独から私も一緒に救い出してくれることを期待」という言葉は、紛れもない本音だったのだ。

 
『ナイトスイミング』を観るのは2回目だ。2014年の初演では冒頭から惹きつけられて観たのだが、クライマックスで作品と私とのリンクが切れてしまい、淋しい思いを味わった。全体的な完成度は高かった分、余計に。
今回の上演でも、とても完成されていると感じた。会場の四方から走り込んだ初演のダイナミックさと一体感はなかったけれど、サンピアザ劇場なりの宇宙があった。詳しくは他の方の感想をお読みいただきたい。
私が一番いいと思ったのは、深浦佑太が演じるサルタだ。冒頭などに登場した、椅子の上に中腰になって、腕で空を掻きつつゆっくりと回転する動き。まず、これがとてもいい。いかにも宇宙を漂っている風で、イメージが広がる。
サルタの人間性も、「魂をどこかに置き忘れた男」「過去の幽霊に出会った男」という表現にリアリティがあり、「20年という歳月は大きいよ?」と思いつつも15歳のままの友人と再会した男の物語には共感することができた。

 
しかしながらクライマックスではやはり、私は置き去りにされてしまった。
この作品のテーマは「助けに行く」という約束にある。15歳の子どもが為す術もない宇宙事故にあって「助けに行く」と誓い「お前は生きろ」と言う。初演ではこの非現実性が私に水をかけた。
今回はどうだったかというと。
この作品は寓話なのだな、と思いつつ観た。15歳のままの友人たちが暮らす惑星は異界、たぶん幽冥界だ。約束は非現実的であってもいいのだ。むしろ約束として聖性を帯びるためには、子ども達は生身であってはいけない。嘆きは賽の河原の子どもの如くにあればいい。ピュアに正義と約束を叫ぶなら、神仏の遣わす童子のごとくに霊的な存在であってほしい。
三年前の上演では、子ども達は演技につたなさはあってもフレッシュであり、異世の童子のムードを持っていた。しかしクライマックスでは人間くさい熱い叫びと死者からの語りかけのようなセリフが私の中でマッチせず、受け取れなかった。
今回は、たぶん最初から子ども達は人間だった。しかし今の私は、童子の無垢に救われたかったのだ。

 
いくつもの約束を踏みつけにし、踏みつけもされ、泣いたりわめいたり諦めたりして大人になってきた。だからこそ今の私にとって、約束は大切なものだ。できない約束は極力、しない。約束したなら全力を尽くす。その点において、サルタのその後の20年に共感はしない。
異界の童子は死者たちかもしれない。
私の死者たちは、私に約束を迫らない。ただ生きよ、と言う。いつかお前もこちらに来るのだから、それまで好きに生きよ、と。なので私はサルタとは違い、いま目の前にいて私を支えてくれる生者のために生きている。
そして本当に大事に思っていることについては、私は生者にも死者にも約束しない。言葉にしないままただそこを目指して歩いていく、私はそのように生きたいと願っている。
 

2017年7月12日 サンピアザ劇場にて初日観劇

 
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2014年11月上演時の感想(TGR札幌劇場祭2014審査時の備忘録より)

◎あのときの選択をもう一度

「過去の選択を後悔している主人公Aが、超自然的な力で再度選択するチャンスを与えられるが、最初と同じ結果しか得られない」という構造が共通する作品をここに分類した。テーマもテイストも全く違うが、選択がループするところまで同じなのは奇遇だった。

g)弦巻楽団『ナイトスイミング』

タイムスリップものは往々にして主人公が時を超えるのだが、『ナイト~』では時間軸を彷徨う惑星が過去の人間たちを乗せて現れ、それを主人公が発見する。
そこにいたのは15歳のときにロケット事故で遭難した同級生たち。彼らにとっては事故後1カ月だが、主人公は既に35歳。感慨にふけりつつ、かつて果たせなかった「助けに行くから」との誓いを今度こそ守りたいと思う主人公。助けに来るのは主人公と共に事故で生き残った同級生2名だ。
登山ならともかく、現場に戻るのも難しいだろう宇宙事故で15歳が「助けに行く」と誓うことに違和感があったが(生き残りの罪悪感ならわかる)、ユニークなアンドロイドの存在による場面の面白さや、錯時を用いて最初の遭難事故の経緯を小出しにする展開には引き込まれた。劇中劇の『走れメロス』との関連付けも効果的だったと思う。

しかし、「一番いいシーン」であろう二度目の選択がなされる場面で、私と作品とのリンクが切れた。恐慌の事故場面にしては、15歳の少年少女の言うことが理想的すぎる。これでは既に死んだ人からの「生きろ」というメッセージみたいだ。そうと思えば、むしろ二度目もあっさり選択がなされて、その後に「主人公による積年の後悔の独白、幻の同級生からのメッセージ」という展開であれば、感情の流れとして自然に受け入れられたような気がする。
ラストは、主人公に特段の努力・変化がなくとも運命はときに優しい、ということか。

演出・演技により、ほとんど椅子しかない空間にロケット、惑星世界、教室、記者会見場、宇宙空間などが出現し、広がりのある世界への旅を楽しめた作品。シリアスと「場面の面白さ」のバランスが良く、役者の熱量も十分で、娯楽作品としては完成されていると感じた。

text by 瞑想子

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