名作の普遍性息づく〜平原慎太郎ほか 近代文学演舞「地獄変」

藻岩山、観音寺本堂で行われた、舞踊、演劇、朗読が融合されたパフォーマンス。「藪の中」「葵上」「地獄変」の三作を続けて演じる。出演、平原慎太郎氏、浜田純平氏、すがの公氏、東華子氏、小田川奈央氏、演出は、櫻井幸絵氏、平原慎太郎氏。馬頭琴と打楽器の音楽を、嵯峨治彦氏、小山内崇貴氏。

お寺というローカルな場所から発信される、グローバルなレベルの明快なパフォーマンスだった。もちろん、基礎となる原作が芥川、三島の名作であることも一因だが、実に「伝わる」演出であった。舞踊、舞踏というと、本人の思い込みと表現欲求のマスターベーションみたいなものを見せられて退屈することが多いので、私的には要注意なのだが、これは違った。伝え、魅せる、表現だった。音楽も、これから起きる凄まじいドラマを予感させる見事な効果をあげ、素晴らしい。その意味で高度なエンターテインメント性があり、海外でもウケるだろうと推測する。出演者個人をよく存じ上げないが、それぞれの演者が、グローバルな意識を持っているのではないかと思わせた。会場となる場所確保が問題だが、せめて全国巡業は果たしてほしいものだ。

本堂の本尊観音像の正面に座ると、金色のきらびやかな仏殿と朱色の柱がすっぽり舞台の背景となる。よくこんな場所をお寺が許可してくれたものだと感心。折しも豊平川の花火が上がる音が遠くにドンドン、パンパン聞こえていた。揺れる蝋燭の灯り。物悲しい弦の響き。沈黙の中の鈴の音。舞台パフォーマンスの一過性は、貴重な瞬間をとらえる感性には宝物であり、逃せば二度と味わえない無情のものでもある。特に非日常な設定には、その場に身を置くだけで吸収できる、魂への栄養補給効果がある。

語りのすがの氏と主役である平原氏のゆるい会話から、一転、浜田氏、小田川氏が加わり絡み合う、芥川の名作「藪の中」は、実に明快に三者三様の心情を演舞とミニマムのセリフで表現。三名とも適役。身体表現はもちろん、台詞表現もいい。三島由紀夫の「葵上」では、東華子氏が嫉妬から生き霊となる女を妖しく美しく表現。「地獄変」でも、それぞれが各自の役を的確に演じた。原作のイメージとは違うが、すがの氏の堀川の殿様は快演。サル役の浜田氏は、動きも見事ながら、サルの絶叫にあんなに心揺すぶられたことはない。「狼王ロボ」の櫻井氏の成せる技か?

最後は芥川つながりで?「蜘蛛の糸」が天から垂れているのを平原氏が手を伸ばして手繰り寄せようとする姿で終わる。一条の光を追い求める普遍的な人間の姿を、観音像が見守る。キリスト教会であったなら、「藪の中」の女を犯すシーンや殺人が十字架のキリスト像やマリア像の前で行われることは、ご法度だったろう。キリスト教は神との契約であるゆえに、戒めを神の前で破る行為は憚られる。海外公演に際しては、お寺の舞台をどうするか、また、芥川、三島のファンは多いものの、一般に仏教思想への理解を求めておく必要があるな、などと、勝手に夢を見させてもらった。

2017年7月28日19:45 観音寺本堂にて鑑賞

text by やすみん

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