アリかナシかが知りたくて。 パインソー『extreme+logic(S)』

 
正直に書くと、この作品の観劇はパスしようと思っていた。
川尻恵太脚本は2014年夏の演劇シーズン作品『夜明け前』、川尻恵太脚本×山田マサル演出は2015年夏の『フィリッピング』を観ている。うんこちんちん系のシモネタや少年漫画的なエロを私は面白いと思えなかったし、糞尿を食べたり顔にかけたりする場面には嫌悪感を持った。もちろん会場は笑いに沸いていたけれど、要するに「私をターゲットにしている作品ではないな」と感じたのだ。

じゃあなぜ観に行ったのか? というと、『extreme〜』を観劇した人たちに直接聞いた感想が、真っ二つに割れていたからだ(笑)。
「完成度が高い」「傑作」「超面白い」という人もいれば「全く理解できない」「つまらない」「このレベルで演劇シーズン作品になるのか」という人もいた。
…こうなると、実際のところどうなのか、観てみたくなるってものですよね? (今回はシモネタ控え目だった、という言葉も私を観る気にさせた)
 
 
 
※以下、ネタバレがあります
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「実は、おまえが毎日食べているのは人間の肉なんだよ」
「おまえが人間を守っているのは、食料としての人間牧場を維持するためなんだよ」
「おまえが闘ってきた怪人は人間を解放する真のヒーローで、おまえこそが本当の化け物だ」

…そうと知らされた主人公たち(人類にとってのかつてのヒーロー = 実は人肉を食べる生物)が、どのような選択をするのか? を描いたのが『extreme〜』だ。と、まずは書いておきたい。

すぐに連想したのは、第二次世界大戦後の日本やドイツでに起きた「正義」の逆転。ナチス政権下の正義を信じてユダヤ人を収容所に送り込んだ警察官や兵士。「お国のために死ぬのが日本男児」と教え込んで生徒を戦場に送り出した戦時下の日本の教育者たち。イデオロギーが変化したとき、彼らはどのような思いを抱いただろう。

あるいは単に、「他国を虐げ貪っていたのは誰か」という点についての戦後の認識の変化でもいい。「人間を食料とする化け物」と表現すると過激だが、ようは正義の仮面の下で他人を搾取して生き延びる存在としての比喩と考えれば、連想の範囲は広がる。
…例えば、美しいスローガンの下で成長し続けようとするブラック企業とか。『extreme〜』の中でも、真のヒーローたちはお金を食べて生きていると言ってたのよね?
(やりたいことはわかるがこの表現は物語としてはイマイチと思った。「お金を食べる生き物」はイメージしにくい)

また例えば。
1缶1000人分の命を日々食しているのは私たちだ。肌触りのいい綿のシャツ。気軽に口にするコーヒーやチョコレート。それらが作られる過程の問題をうっすらと知りながら無視している「私」は、確信犯的に「悪人」を間引いて食料化している地球浄化委員会よりもタチが悪いかもしれない。

視点を変えれば誰もが悪であり得る。作中の真のヒーローたちだって所詮は兵器(兵士)なのだし、戦争指導者にはまた隠された狙いがあるかもしれない。いつだって、何が正しいかは判然としない。

…という点が、脚本家がこの作品でどうしても書きたかったことだろう、と私は思っている。『extreme〜』は、初演時の結末に2案を加えた全3案の結末を用意し、観客投票でその日のラストを決める「マルチエンディング方式」を採用している。どの結末でもいいということは「どうしても表現したい」というものは含んでいないのではないか?

なので、「どのような選択をするのか? を描いた作品」と書いたが、脚本家自身はその選択の内容をあまり重視していない、と想像している。実際、私が観た結末「花火の約束篇」では、悲劇の死で彩られたラブストーリーの中に、立場の変化による葛藤はあまり描かれていない(単にギャグその他でわかりにくいだけかもしれない)。

真実を知った後に残されているのは、どのみち悲劇(の上での幸い)。提示した問題に絡むさまざまな言い分を並べたところで善悪に結論はないのだし、悲劇のバリエーションから一つだけを提示したところで救いはない。
だったら、何もかも笑いのうちに流れてしまえばいい。

と、脚本家が思ったかどうかは知らないけれど、『extreme〜』は全体としては、ヒーローものに限らず各種の漫画アニメ映画テレビ…などなどのパロディであり、ギャグを満載した、とにかく笑わせようとしてくる作品だった。ギリギリのところで長いコントであることを回避しているような作品、というか。

私個人としては、(元ネタを知らないので)この作品の中の笑いの大部分を面白いとは思えなかったけれど、間合いも熱量もバッチリで、演出と演技の仕事は十分に機能していたと思う。テンポがずれたときの不快感はなかったし、展開に退屈もしなかったし、客席は笑いで大いに盛り上がっていた。好き嫌いは極端に分かれる作品だと思うが、「札幌で創られている作品としては」、かなり高い完成度にあると言っていいと思う。

細かい設定の怪しさはギャグのパワーで吹っ飛ばしてOKとしても、はっきりと「これはイヤ」と思ったのが3点。
1点目、スナック菓子をフェラチオを連想させるやり方で頬張らせるシーン×2箇所。2点目、「ドMが!」と叫びつつ女性の尻にのしかかる(尻から手を入れる?)シーン×3箇所(たぶん)。どちらも笑えないだけでなく不快だった。
3点目、CDに変わる機器(ipod?)が登場しての音声再現コントが、結末への期待が募る流れをぶちこわしたこと。千秋楽サービスだったのかもしれないが、身内ならぬ私にとっては長すぎ・やりすぎで興ざめだった。

あ、気になった点としてはもう一つあった。立場が逆転してからの「ヒーロー」「化け物」という言葉は、元ヒーローと元怪人のどちらを差しているのか混乱した。早い流れの中で出てくるし、スッキリ区別できる言い方はないものなのか…。

などとは思ったけれど、2014-冬以降の演劇シーズン作品のほぼ全てを観てきた中で、『extreme〜』はなかなかいい出来だと思う。とはいえ、そう感じるのは千秋楽を観たせいではないか、という疑いは持っている。「つまらなかった」的な意見を言っていた方の多くは、初日もしくは早い上演回での観劇だった。

札幌演劇の大問題。残念ながら、初日から仕上がっている作品は少ない。これまで演劇シーズン作品といえば初日を観ざるを得ず出来にガッカリ、後に「千秋楽はすごく良かった!」と聞いて憤懣やるかたない思いに駆られたことが何度あることか。全然違う演出になることだってザラなのだ! 観るなら公演期間の後半が望ましい、と思っている札幌の観劇人は少なくないはずだ。

「演劇シーズンでは、初日はプレビュー公演として無料観劇させるべき」とある観劇人は言っていた。またある観劇人は「初日500円からスタートして、千秋楽3000円までチケット価格を上げていけばいいのでは?」と言っていた。どちらも名案だと思う。

札幌の演劇人よ、こう言われて悔しかったら、公演初日からきっちり仕上げて勝負してほしい。
 
 
2017年8月5日18:00 BLOCHにて観劇
 
 
※8/7追記
川尻恵太作品は、冒頭で書いた以外にもイレブンナインco;dEBoo『れっとうのはて』、NEXTAGE『LaundryRoom No.5』も観たのだった。もしかしたら他にも?
『Laundry〜』は2回観た。最初は2015年5月にBLOCHで、次は2017年2月にcube gardenで。札幌演劇シーズン作品として上演された後者はシモネタ控え目で小綺麗にまとまってはいたが、荒削りだが狭い会場全体を廃墟のテーマパークと一体化する勢いのあった前者のほうを、私は好もしく思った。

text by 瞑想子

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