笑いと涙、生と死:鈴井貴之OOPARTS『天国への階段』

鈴井貴之氏の舞台は初めて観る。彼が作・演出・出演(三役くらい)をこなす。テレビでは時々見かけるものの、ローカルなイメージで、北海道の中では知られているが、大泉洋ってわけではないし・・くらいの感覚しかなかった。ちょうど先週、「財界さっぽろ」に掲載されたインタビューを読んだところだった。北海道郷土愛と、至極まともなイノベーションを志す姿勢が読み取れた。

本作は、孤独死した後の現場清掃と遺品整理をする特殊清掃員たちのお話。バラバラの寄り集まり集団に見えた人々が、実は複雑に絡み合っているという面白い設定。後半のえ?あ〜そうだったのね、という展開もその伏線もあり、ただの孤独死とその事後処理の話に終わらない、人生と死を考えさせる内容だった。キャラメルボックスとかよりずっといい芝居だ。そのキャラメルボックスを含め東京からの安定した俳優陣に、札幌で見慣れたメンツでは、HTBの藤村忠寿ディレクターとNEXTAGEの戸沢亮氏。前半は笑いを取りながらも、サービス精神か、やや冗長の気味もある。他都市での公演では、札幌限定っぽいギャグはどうするのかな。しかし、ともあれ最後の鈴井氏の父親としての演技に涙して満足してしまう。「この世」だけに終わらない人の世と、思い、希望。ベタにならず適度な演出だ。この人は演技・演出ともしっかりできる人なのだなあと感心。終演後の挨拶でも、やはりオーラがあるし、人好きのする真面目さとユーモアがあった。応援したくなる。これは大事な資質。

ステージデザインも面白い。白い枠組みの箱を積み上げて、中にクッションを敷き、すっと穴に落ちたり、もぐったり、顔を出したり、舞台上の高低をうまく使っている。俳優さんたちは大変だと思うが、特に男優陣、永野宗典氏、畑中智行氏、根岸拓哉氏らは、見事な身体能力を見せた。

本作品では、「孤独死は悲しく空しい」前提で、「人は誰かが覚えていてくれる限り生き続けるのだ」という慰めを与えられる。「こんな最期の人にもそれなりに人生があったのだよ」的に孤独死者にちゃんとリスペクトは与えられているが、孤独死覚悟の人間としてちょとさらに思うところを申しておきたい。確かに、誰にも看取られず死後何ヶ月も経過して発見され、死体と部屋がおぞましい状況になって、清掃する人々に迷惑をかけることは残念である。可能な限り終活しておこう。だがそのような最期は、その人の人生への罰ではないし、その人の人生の否定でもない。本人が不幸だったと結論づけられるものでもない。心満ち足りた孤独死もあれば、家族・親戚に囲まれた孤独死もある。そして、誰かに覚えていてほしいとか、誰かの心の中で生き続ける、とか、私は興味がない。愛して、感謝して、さっと跡形もなく、消えていきたい。「そんなことを言わないで」と憐れむ、生に執着する心優しき人々には理解され難いのだろうが、決して卑屈になっているのでも厭世家でもない。生きた過去より死後の未来を見ているだけだ。願わくば、覚醒して死を迎えたい。死後に何があるか、しっかり体験したいから。死んだら終わり、というなら「終わり」なんだからそれでよかろう。遺族より亡くなった先人たちに囲まれたい。こんなヤツでも、先に旅立った愛する人たち、の中から一人くらい、迎えに来てね。さて誰が来るか。じゃんけんで負けてしぶしぶ、というのはやめてほしい。

 

2017年8月12日17:00 道新ホールにて観劇。

text by やすみん

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