先日、高崎氏の寄稿を読んで思い出した。
もう15年くらい前の記憶。
当時仲良くしていた札幌で活躍するミュージシャンが酔いどれながら、言った事。
僕が演劇は、恵まれてないですよっと、彼は、そんなの嘘だろ、嘘じゃないですよ、音楽はみんな聞くじゃないですか、好きな曲とかあるじゃないですか、演劇は観たことない人ばっかりですよ、好きな芝居あるなんて人珍しいじゃないですか。
でもお前ら、新聞とか雑誌とか、おっきく載せて貰えてるだろ。
当時は地元誌も数種類あり、演劇を観る情報源だった、確かにライブハウス等の取り上げられ方より目立っていた。
そりゃあね、演劇の人と音楽の人の性格の差もある。演劇の人は、新聞メディアテレビなんかに企画書配ったり、必死にチケット売ったりするけど、音楽の人はとがってるから、そーいうのやらない方がかっこいい人達だ。ま、全部がそうじゃないけども。
そして、取り上げる方も、溢れるバンドマン達より、物珍しい劇団の方が扱いやすかったのかも知れない。
てなわけで、札幌は昔から、けっこう演劇が恵まれていた。
僕の様な異物みたいな存在でも、雑誌でインタビューしてくれたり、テレビ出たり、新聞に顔が出たりしていたのだから。
そして、もう、現在たるや、演劇シーズンだよ、札幌アートステージだよ、もっと繋がりがあるべきだよ、札幌国際芸術祭だよ、などなど、演劇が盛り上がり、札幌のメインとも言うべき地下歩道にでかでかと告知されちゃったりしているのだ、演劇が、芝居が。
僕はとてもありがたいと思うし、ちょいと乗っかって、宣伝してもらって、お金稼いだりできたらいーなぁとか思うわけ。
でも同時に、誰がそれを望んだのか、という疑問もある。
需要と供給みたいな感じね。
演劇を観る人ってどんな人だろう、演劇に人は何を望んでいるのだろう。
それは、観劇の入口に、シンプルなものを、わかりやすいものを、という傾向とは違う気がしている。
もっと、その時、その場所、あの匂い、あの空気、が演劇の醍醐味だと僕は思う。
ちなみに、国や街に守られた芸術は、衰退するケースが多い。
世界の歴史をみても。
演劇をしてる僕は、札幌の演劇はいま、かつてないほどに恵まれている。
あらゆる優しさの中にいる。
望む望まれるという疑問も抱えるが、それよりも、演劇の力とは何なのか、思考を超えて感じたいと、うぎゃ。
劇団コヨーテ主宰
text by ゲスト投稿