夏の終わりに星を見上げて。─弦巻楽団『ナイトスイミング』

<再演観劇にいたるまで。>

2014年の初演時に僕は本作を2回拝見しました。その年のTGR(札幌劇場祭)では上位の受賞は叶いませんでしたが、僕としてはその年に観た数多の作品の中で、最も評価の高い作品のひとつでした。
だからこそ再演には大きな期待もしたし、反面不安もありました。
初演はターミナルプラザことにパトスの小さな舞台にシンプルな装置。(妙な言い方ですが)ラジオドラマを見ているかのように、想像の上に大宇宙を広げることで物語世界が完成していたように思います。(実際、ラジオドラマ版の『ナイトスイミング』を作ってくれないかなあと考えたくらいです。)

それがサンピアザ劇場での再演。──ハコのサイズが違い過ぎる。まさか宇宙船のセットでも組むんじゃないんだろうな(いやまさか)。主演の深浦さん、先生役の塩谷さん、操縦士の温水さんらを除き主要キャストも一新。これは僕の観たい『ナイトスイミング』ではないかも知れない。いや、それならそれで弦巻さんの新しい試みを見届けてみよう。そんな気持ちでした。

会場の舞台装置を目にした時、僕の心配は杞憂だったと悟りました。結果的にそれは僕の観たかった『ナイトスイミング』だった。キャストも演出も登場人物のキャラクターの違いにも関わらず、初演の『ナイトスイミング』と同じお芝居がそこにありました。
「同じ」というのは「進歩がない」という意味ではありません。芝居は日々進化します。昇華されるという意味において、初日と楽日でもある意味別物です。だから再演の『ナイトスイミング』は、会場の大きさに合わせ初演時より進化していてこそ、「同じ」初演の延長線上にあるお芝居として僕の目には映りました。

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<物語としての『ナイトスイミング』>

劇中劇の形で進む『走れメロス』は、友情や、善なる人の心を信じることを謳う太宰治の短編小説。シンプルに捉えればこの作品のテーマにただ重ねることもできますが、ありがちなスタンダードな取り込みをするだけでなく、絶妙な笑い(山木眞綾さんの王様!笑)に結びつけるところもウエルメイドな脚本づくりが真骨頂である弦巻さんならでは。『走れメロス』自体、見方によっては「道徳的な白々しさ」という批判的評価を受ける作品ではあるのですが、一瞬笑いを暴走させたりすることで、程よいバランス感を保ちながらこの物語を支える劇中劇になっています。

批判的評価と言えば、サルタを助けるため自らが犠牲になるタケミナに違和感を持つ方もいたようですが、僕はそれは感じませんでした。端的に言えば「15歳の子供が友達のために自己を犠牲にするだろうか」ということなのでしょうが、それであれば何歳ならいいのか?友達じゃなくて恋人や自分の子供のためならいいのか?と、逆に疑問に思ってしまうんですね。
タケミナにも迷いはあるじゃないかな。でも極限の状況では目の前の一瞬の出来事に体が反応するかどうかで、性格的に足がすくんでしまったのがサルタで、まず動いてしまったのがタケミナじゃないのかな。
それが15歳の純粋さだと思うし、この作品では描かれていませんが(ザネリを助けて自分が川に沈んでしまったカムパネルラのように)タケミナだって内心の葛藤はあったかも知れません。

また、15歳の時の想いのまま35歳まで生きられるのか?という問いに対しても僕ならYES。これはもう個人的な感覚ですから違和感のある人にはどのように説明しても伝わらないと思いますが。(そういう意味では「あなたは弦巻作品に相性がいいんですね」と言われてしまえばそれは「そうですね」としか言えないわけですが笑。)
20年の時を「止まったように」生きてきたサルタ。客席からは一見、宇宙に取り残されていた同級生達たちの時が「止まっているかのように」見えますがそうじゃない。そして一見そうと見えないが、ミシマの20年も止まっていたのだと思います。
弦巻さんの『銀河鉄道の夜』は、迷いのないカムパネルラと、彼を何度でも助けられる未来を見つけたジョバンニの物語でした。

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サルタ(深浦佑太)……初演に続いての深浦さん。残してきてしまったモノをすべて背負い込んだサルタの心情は静かに重く、初演に増して観る側のギリギリの沈降度(これ以上抑えられたら見ていられない)で好演。
ミシマ(村上義典)……一番心情が推し量れない人物、というのが今回の村上さんのミシマでした。初演時には初演キャストの小松悟さんのミシマも心情が量りにくかったのですが、今回の村上さんを見て逆に今更初演のミシマの心情が分かったくらいです笑(乱暴に言えば、彼も20年前の罪悪感に囚われ、自己と向き合うのを避けるためにすべてを利用してのしあがっていくことに心を向けているが本質はサルタと同じ)
オクヤマ(成田愛花)……初演の大沼理子さんのオクヤマは大人の女性としての屈折やサルタやミシマへの気配りを感じましたが、成田さんのオクヤマはまた別の人物でした。まっすぐに事故のことのみを考えている良い意味でのピュアさがとても好感。

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<作品としての『ナイトスイミング』>

初演の「ハコの小ささ」で成立した本作を再演するにあたり、加えられた舞台装置と振付けによる(宇宙での浮遊感などの)表現は、初演を分析し進化させることで、サンピアザ劇場のサイズに合わせて初演のままの感動を届けることに成功していました。(初演で、事故の極限で二組に分かれた双方が手を伸ばしあう場面で、舞台上には間に何の物理的障壁もないのが唯一気になっていたのですが、そのシーンも今回は舞台装置でフォローされていました。)
振付・音楽・美術・衣裳など、総合的なスタッフ力と、再演だからこその昇華であったのかなと。これが「札幌演劇シーズン」作品ではなかったことが僕は不思議でなりません。

「人」を信じるてらいのない物語と、王道の展開、舞台表現としての振付けの美しさなど、奇をてらわずに精緻に重ね組立てられ、演劇本来の力を見せてくれる舞台。
本作は一般公演に先立って学校の芸術鑑賞授業として上演されたということですが、中学時代にこんなお芝居に出逢えるひとたちは、なんて恵まれているのでしょう。

初演時、観劇後の最大の違和感は、どうしてあんなチラシ(宇宙空間をバックにした宇宙服の人物)にしちゃったのかなあという1点のみでした。(往々にして作品より先行して製作されるチラシにはよくあることですが。)
その意味で、再演のフライヤ美術は本作の芯を捉えたものでした。宇宙の果てを見つめる2人(サルタとタケミナ)の後ろ姿は『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせますがそれが正解。本作は、弦巻さんの描く『銀河鉄道の夜』なのだと思います。

2017年7月15日(水)13:00~ サンピアザ劇場にて観劇
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弦巻楽団#28『ナイトスイミング』
2017/7/12(水)~15(土)

遠い未来。

宇宙は未知でも危険でもなくなりつつあった。太陽系やその他の惑星は次々に開拓され、多少の事故は起こりながらも、人間は既に宇宙のあちこちに進出していた。
宇宙旅行の企画会社で働く主人公は、新しい旅行先の調査中、宇宙の片隅に氷で覆われた未知の星に不時着する。そこで彼が出会ったのは、20年以上前、宇宙旅行のさなか事故に遭遇して行方不明になった同級生たち。彼らはそこで、当時の姿のまま、地球からの救助を待ちながら暮らしていた。
大人になれなかった彼らと、
大人になってしまった私たちを巡る
約束と失望の物語――。

[脚本・演出]弦巻啓太
[出演]深浦佑太(ディリバレー・ダイバーズ)、佐久間泉真、村上義典、成田愛花(劇団ひまわり)、温水元(満天飯店)、塩谷舞、遠藤洋平、細谷史奈、山木眞綾(クラアク芸術堂)、島田彩華、相馬日奈 (弦巻楽団)、木村愛香音(弦巻楽団)
[スタッフ]舞台監督:高橋詳幸(アクトコール) 照明:高橋正和 音響:大江芳樹 舞台美術:川崎舞 衣裳:佐々木青 演出部:相馬日奈 木村愛香音 佐藤雄大 宣伝美術:本間いずみ(Double Fountain) 制作:小室明子(ラボチ)

text by 九十八坊(orb)

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