残りわずかとなったチケットを買うのに間に合い、迷った。昼の公演にするか夜の公演にするか。結果、私が乗った回の市電、指輪ホテル号は、豪雨と雷光の中をひた走ることになった…。
集合場所の大通りすわろうテラスで、旗を受けとる。国際芸術祭の大風呂敷プロジェクトを思い出させるパッチワークの三角旗が受付を済ませた印らしい。傘をさし旗を持ってすすきの交差点まで歩き、これから乗車するはずの車両がゆるやかなカーブを描いて目の前を走り過ぎるのを見届け折り返す。乗車駅は外廻りの西4丁目。車中で邪魔になるかと小さな折りたたみ傘を用意したので既に右肩がずぶ濡れだ。たぶん終演まで雨は止まないだろう。そんなわけでやっと乗車した電車内がシェルターのようにも感じられた。何枚かタオルが配られる。服を乾かすためではなく水滴で曇った車窓をぬぐうために。おぉそうか、電車の外でも何かが進行するのだな? と期待が膨らむ。この公演は間違いなく、常とは違う景色を見せてくれるだろう。悪天候の夜の回で、むしろよかったのかもしれない。
ウサギの仮面をつけた灰色の人物の斜め前に座った。そういや車両まで導いてくれた一人も全身灰色だった。楽隊はサンタクロースのような紅白のワンピースか、赤いブレザーにネクタイ。そしてカンカン帽…。冬なのか夏なのかわからない季節に、世界に、私たちは居合わせている。
アカシアの木霊が、リンゴの木霊が、ウサギが、フクロウが、途中の電停から乗り込んで来る。みな灰色の衣装だ。顔も灰色に塗られ、その表情は分かりづらい。車窓の外にも自転車を駆る灰色の人たち…。
最初から乗っていた狂言回し?の二人、亀井健氏と小柄な女性は、灰色の衣装だが、顔は灰色に塗られていなかった。車中に突然現れた少年と彼を追いかけて現れた車掌はリアルな色彩だ。ナガムツ嬢演じる少年を指し、亀井健氏が幼い頃の自分に似ているという。
ああ、そうかとまたも私は勝手に解釈する。これは思い出電車なんだな。だから、鮮烈な実体験を遡って現れた少年と車掌には輪郭があるんだ。灰色の人たちは、思い出の背景のようなものなんだ。だとすれば、雨のためにタオルでぬぐいつつ観ている街の景色のあいまいさも、これでいいのだな。思い出は自分のものでさえも漠としているものだもの。りんごの木霊たちの手の中のりんごだけが、赤かった。アカシアの木霊たちが手にしたスキーと三角旗だけが、白かった。語られた物語は語り手が漠としていても継承されていくのだ。「誰か」は忘れられても、りんごは遺る。アカシアは遺る。遺産。このSAPPOROという街の遺産だ。
そういえば子どもの頃に住んでいた界隈にはりんごが植えられていたっけ。目の前のお芝居を見ながら、網膜にはバス停の名が「梅園」と呼ばれていた頃の町に咲いていたりんごの白い花が甦ってくる。
スキー授業の日には、禁止されていたけどスキーをはいたまま、家まで坂道を滑って帰った。ストック(ポールとはまだ呼ばなかった)を突き、アノラックを着て、脚絆(!)を装着していた昭和の子どもだ。私の場合は藻岩山ではなく、手稲山系のふもとの小さな山だったけれど…。
友人宅からの帰りの夜道でフクロウに遭遇したのは、つい最近のことだ。もうフクロウは身近には見られない鳥になったと思っていたから興奮した。小学校の頃の除雪が馬橇で行われていたのも、今は昔の物語になってしまった。北原白秋にアカシヤと謳われたこの街の木が、本当は「ニセアカシア」という名前だとはいつ頃知ったのだったっけ…。
お芝居に喚起された「私の」思い出がとりとめもなく次々とたち現れ、雷の発光で瞬間的に焼き付けられては後ろに流れていく。私の職場の真ん前の電停を過ぎ(すぐそこの暗がりに建物はあるのに遠い…)、さる場所の構内へと車両は吸い込まれていく。仕事がらみの貸切電車で入ったことはあるけれど、眩いライトに照らし出されたここは今夜、異世界だ。灰色の人たちが踊る間をぬってそぞろ歩く。つかの間雨のにおいがする外の空気を吸い、また乗車する。さっきとは別の座席に座る。両隣に座る人たちも、さっきとは違う。でも、私たちはこの車両の中で亀井健氏演じる人物の家族ということになっている。大家族だ。大家族を乗せて豪雨の中を思い出電車は走る。扉が開閉する音、レールの軋る音…。エフェクトじゃない。本物の音だ。雨にぼやける街路樹、街灯、灰色の人たち…。雷鳴。雷光…。
雨の中、こちらを見ている街の人たちもいる。彼らの目に、指輪ホテル号はどう映っているのだろう?
隣席の女の子はもう眠そうだ。不意に気がつく。同じ車両に乗り合わせたとしても、たぶん刻まれる思い出はみんな違う。この少女の思い出に偶然映り込んだとしても、私は灰色の人物だ。きっと表情は無い。
まだ市電がループ化になっていなかった頃の職場に通った私と、異動して戻ってきた私との間に流れた時間をかみしめていた。私の思い出の中で、色彩を放つ人たち-。でも彼らの思い出の中では、私は輪郭のあいまいな灰色の人であるかもしれない。いや、人物でさえなく背景である可能性だって…。悲しいがそれもまた仕方ない。背景である私は忘れられていくだろう。せめて赤いりんご、白いりんごの花のような何かを、星座の星と星とを結ぶ点線のように、ささやかに繋ぎたいものだけれど…。
近い将来、壊されることが決まっているビルの6階でこのお芝居は終演した。そういえばこのスペースに付けられた名前は、かつては通りの名前だったのだ。最盛期のにぎわいを知る者も、もう少ない。
100年後、200年後…。後世の人の手もとには、いったい何が遺されるのだろう?
ビルを出てまた傘をさし、毎年2000人づつ人口が減少している街行きの電車に飛び乗った。この路線は円環ではなく、私はいまSAPPOROの住人ではない。帰宅して、冷蔵庫にひとつ残っていた余市産のりんごを剥いた。たわむれにウサギにして食べた。私は降車駅を間違えたのだろうか? 私は星屑にすらなれなかったのだろうか? いつかまた三角旗を手にしたなら、乗車を許される日が来るのだろうか?
そのときに語られる物語はきっと、雷鳴の中で体感した物語とは違うはずだ。私は明日また、西4丁目駅から内廻りの市電に乗って職場に通う。通勤の市電に、あのウサギはたぶん現れない。あれは夢ではなく、本当にあったお芝居だったのだろうか? 今までに味わったことのない、とても奇妙で愛おしい空間だった。耳にはまだ楽隊のメロディが鳴っている。タタッタ、タタタ、タタッタ… タタッタ、タタタ、タタッタ…
再演切望。
2017年9月23日 19:50~ 市電にて観劇
投稿者:本間 恵
text by ゲスト投稿