ヤマの記憶に挑む MAM『月ノツカイ』

北海道と向き合うにはアイヌとともに炭鉱(ヤマ)の歴史を知らないといけないでしょう(もっと遡れば擦文文化もそうかもしれません)。ヤマとともに生きる人々をテーマにして市井の物語を描く意欲作だけに大変惜しまれる内容でした。斎藤歩、鈴井貴之と同時期に札幌の小劇場シーンのヒーローで、俳優座のプリンスとの呼び声もあった増澤ノゾム(当時は増沢望。同時期、内野聖陽が文学座のプリンスと言われていました)。2015年に、作・演出を手掛ける演劇ユニットMAMの活動を札幌で立ち上げ、ほぼ無名な状況で上演された最初の作品。全席ソールドアウトとした芝居だと聞いていました。増澤自身は舞台映えのする上背と色気、また道具の端正さが際立っていて、正統派の存在感あふれる役者です。初演を見逃したこともあって期待感一杯でした。ですが、冒頭に書いたように、プロ野球の世界で名選手が名監督として功績をあげられるわけではないように、優れた俳優は必ずしも優れた作家たりえないのだなぁと残念に思いました。

静かでストロークの長い芝居の寡黙な味わいと畳みかける芝居の熱さは力強く巧みです。「一山一家」と言われる炭鉱(ヤマ)の結束の固さ、悪く言えば狭い地域社会で完結する濃密な人間関係のディテールは丁寧に描かれています。人物も多めですが、それぞれがきちんと造形されていて、さすがだと思いました。もう道民も忘れたのかもしれませんが、黒いダイヤと呼ばれた石炭が、炭鉱労働者の文字通り命をかけた働きが高度成長期の日本の発展を支え、巨大な中流層を生み出したのです。

でも、観ていてしんどかったのは、時制のコントロールです。2つの時制を劇が往来し、また同じ場面でダブることは、シナリオ術で「回想は諸刃の剣」とされる通り、理屈立って芝居の流れを感じることは個人的には不得手で難しかったです。劇で起こっていることが同日なのか、日替わりしているのか、然るべく時間経過しているのかも、理解しようとしなければなりませんでした。台詞もドラマ台本でいえばト書きのように説明的にならざるを得ません。力技で押し切った場面もありましたが、ところどころで、役者が「歌い過ぎている」と感じるシーンがありました。なにより、健司と由里子の物語が何とも都合よくつくられているのではないでしょうか。「おお、そっちへ持っていくか」と。イマジナリーラインを破られるのは、観客としては時としてスカッと気持ちがいいものですが、昼メロのような設定はこの「思索的でありながらも感情を揺さぶる劇の在り様」には似つかわしくないように思いました。この世のものではない(おそらくは健司の父でしょうか)増澤演じる老鉱員もそうなのですが、特に由里子の心象が最後まで一本に結ばず、しっくり来ませんでした。

伏線の回収もかなり遠くて…健司の父親の「遺産」が運び込まれる終劇近いシーンでようやく、そうかそうかと気が付く僕も鈍感でいけないのですが。一方で、ずっと書類に印鑑をもらうために登場するヨコチンこと横塚が、最後に由里子に持ってくる「注水同意書」の大芝居場には本当にシビレましたし、昔懐かしいマイクロカセット方式の留守番電話のエピソードの回収は実に素晴らしく、芝居の長い間合いとも相まってジーンときました。

この劇の下敷きは、1981年に起こった北炭夕張新炭鉱のガス突出事故だと思います。この事故では坑内に約60人もの安否不明の作業員を残したまま、二次被害を防ぐために(つまりヤマを守るために)注水が行われ、最終的な死者は93人にも及びました。この大惨事を追いかけ、1983年に放送されたHBC制作のテレビ史に残るドキュメンタリー「地底の葬列」の記憶は今も鮮烈に残っています。一方、健司や由里子の同級生、デモ仲間のファッションは、どう見ても1960年代に一大ブームを起こしたヒッピールックです。いわゆる市民社会のプロテストとしての安保闘争は「60年安保」で事実上収束し、1970年代に入ると過激化して内ゲバ、今で言えばテロ集団化して自滅するのです。これを機に「政治の季節」は終わり、1970年代を闊歩するのはアンノン族でした。458人にものぼる戦後最大の死者・行方不明者を出した福岡県・三井三池炭鉱の爆発事故は1963年ですから、「古都呂町」にある大きな炭鉱、しかも閉山の危機を抱えているという劇中の時代背景とのタイムラインは整合性がないような気がします。演劇的解釈でOKだと思うのですが、「歌で世の中を変えるんだ!」的な熱はもうどこにも、特に若者の中にはなかったはずだと自分の記憶と突き合わせてしまいました。

役者で言えば、健司役の遠藤洋平の屈折感は一際印象的で拍手喝采ものです。妻の由里子役、成田愛花は終始感情をあらわにしないのですが、存在感たっぷりで好感しました。特に箪笥から印鑑を出す所作の何とも抑制的なエロティシズム。惜しむらくは、多分実年齢が若すぎて、娘役や大学の同級生たちとのバランス、また時制が健司の死後から一気に飛んだりするシーンは、さすがに段差がありました。演じ分ければいいというものでもないでしょうけれども。出色はヨコチンの本間健太。鉱員たちと会社に板挟まれ、由里子への横恋慕を抑えきれず、でも優秀な事務方。芝居巧者で、本間の存在がこの劇の大きな芯にもなっていたと思います。

僕の義父は芦別にあった炭鉱の事務方で、閉山に伴って会社の斡旋で市役所に奉職しました。炭住での暮らしやヤマの人たちの昔話やエピソードはよく聞かされたものです。かつて空知は国内最大の産炭地域で、今も残る炭鉱関連施設は北海道遺産や近代化産業遺産に指定され、産炭地をめぐるツアーやアートプロジェクトも人気を呼んでいます。第1回目の札幌国際芸術祭で見た、岡部昌生さんのフロッタージュには衝撃を受けました。ヤマの文化や歴史、記憶を演劇によって可視化するという試みには大きな意味があると思います。その意味で真摯な劇でしたが、力作と言うにところまでには昇華しきれなかったと思います。大変惜しい芝居でした。役者としての増澤もそうですが、芝居の作風は好きなので、MAMには今後も大いに期待しています。

11/7(火)19:30 ZOO

text by しのぴー

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