アジアのマクベス、降臨す 劇団竹竹『マクベス』

素晴らしい!その一言です。言葉にできませんでした。3年前の『アイランド』以来でしょうか、思いっきり、根こそぎ劇的世界にもっていかれました。2006年から続く日韓劇場祭交流事業で、韓国小劇場協会の推薦でTGRゲストとして招聘された劇団竹竹(チュクチュク)の『マクベス』。もう圧巻でした。残念ながら大賞作品としてエントリーしていないのですが、個人的には、文句なく大賞、そして、マクベス将軍を演じたソン・ホンイル、マクベス夫人のイ・ジャギョン(パーフェクト!)の2人に俳優賞をあげたいと思いました。チュクチュクを主宰するキム・ナギョンは、数多の演出家で数え切れないほど舞台化されているシェイクスピアのマクベスを、素晴らしい解釈で脚色してみせ、独創性とインスピレーション溢れる演出で、マクベスの野望と破滅をパトスの小空間に降臨させました。

マクベスの名を呼びながらロウソクの灯りで不吉なもののけたちが登場する冒頭からノックアウト。ボロ切れで目隠しされ拘束されたマクベスが、舞台に引きずり出されます。お前たちは誰だ、ここは何処だとかろうじて訊ねるマクベス。もののけの1人が、ズルズルと目隠しを外すところで最初の溶暗。たまりません!権力の座を象徴する黒い椅子や、「荒野の屠殺場」をイメージして劇のためにつくったという大きな鉤のついた血の匂いの染み込んでいそうな鉄の引っ掻き棒。屠殺した肉を吊るしておく大鉤に見立てた装置も舞台にぶら下がっていて、色彩性を持たない削ぎ落とした舞台美術の能弁さにも敬服。椅子を舞台で滑らしたり、積み上げたり、ある時はヘルメットに、ある時には剣にと表象の使い方や、戦闘をイメージさせるチャコールグリーンのこれまたシンプルながら人物の心象に合わせて生き物のように変化する衣装も素晴らしいです。小道具の使い方や血を表すような水とチョーキングパウダーも独特の効果をあげていました。

なんといっても、韓国劇団を何度か見ていて思うのですが、役者の身体性が強靭です。それと韓国語の台詞。発音器官の型をとって創製されたハングルの響きや、母音の多くが口をあけて発音するため、台詞の音圧が舞台から強く感じられます。大阪の在日社会には葬儀の際に泣き女を雇う習慣もありましたが、強い感情を伝えるのにより向いているのかもしれません。韓国舞踊、あるいは伝統舞踊から持ってきたのではと思える、独特なリズムで身体を叩きながら芝居をするシーンがあります。アフタートークでキム監督は、「自分の世代の大学街には日本も含めて舞踏家やパフォーマーが集まる自由な空気があり、それを呼吸して育った。ダンサーがいればダンスに偏り、舞踏家が入れば舞踏に偏る。身体性もそうだが、役者同士が劇を理解しながら自分たちの表現として生まれたもの」と韓国文化にルーツは特にないと話していたのがとても印象的でした。また、舞台表現をつくるものとしてのイズムにも感銘を受けました。

故蜷川幸雄は、歌舞伎の世界観や様式美、モチーフを大胆に構築した舞台美術でシェイクスピア(松岡和子訳)を解釈して、かの蜷川マクベスを生み出し世界的評価を得ました。蜷川が歌舞伎であれば、キムのマクベスはアジアの土着性の中から現れたマクベスではないでしょうか。

ラストシーンに、砂漠の中の屠殺場というキムの劇的直感が見事に投射され、深い余韻を残しました。「私は耐えられると思ったのに」。奥深いですね。いつか、このようなシェイクスピア劇が札幌の演劇人たちの手で生み出されることを切に願って。

追伸

きょう14:00〜千穐楽です。ぜひにお出かけください。今年のこの1本に出会えると思います。字幕の出る位置が下手高めにありますので、芝居の臨場感は減じるかもしれませんが、後ろの席がいいかと思います。字幕出しの精度は上げてくれると思います。

11/22(水) 19:00  パトス

text by しのぴー

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