観る回を間違った? ニッポンの河川『大地をつかむ両足と物語』

意気消沈している。
信頼している観劇人の方々が、この作品をべた褒めしているからだ。

私が観たのは初日、彼らが観たのはその後。…なので初日に観劇した方々と語り合って、メンタルの補強を試みたりした。好みの問題は置いておくとしても、完成度の点でも見えたものは違ったよね? そうだよね!? といった具合に(笑)。いや初日を観て褒めてる人もたくさんいるけど、ひとまずは。

私だって、イルミネーションで結界されている縁日めいた空間にワクワクした。役者の、カセットデッキその他の音響照明器具を身に付けたゲリラ兵のごとき出で立ちには「なんか変わったことが始まるぞ!」という期待が募った。芝居が始まってすぐ、役者の力量に「おお、これはいい!」と感じた。
しかしそこから先は、やろうとしていることはわかるのだけど、気持ちがついていかないままに終わってしまった。

3名が複数の役を演じつつ、時間軸や虚実の入れ替えを早回しで行うので、場面がいつ切り替わりどこに跳んでいるかを追うのが大変だった、というのが正直なところ。

客を煙に巻きはぐらかして笑わせていく芝居なのだろう、とは思ったが、役者のうち1名の方のセリフが要所要所でモニャモニャっとなってしまい、場面の笑い自体が掴みきれない(声量は問題なかったが、声色を使った上での早回しのせいだろう)。

ある場面を熱演しておいて「なーんちゃって、ホントはこうよ。…っと見せておいて、実はそれも嘘なのよ」と交わしていくのだが、虚実がどこで切り替わったのかが不明瞭。まぁそれでもテンポとノリで笑えばいいのだろうけど、その場面自体の役者の感情がどっちかは明瞭であってほしい気が…。
と思っていたら、終演後の「公開ダメ出し」でやり直ししていて「あ、やっぱり明瞭にやるつもりがダメだったのか」と思ってしまったのも残念ポイントになってしまった。

作演家は「ダメ出ししたいのは17カ所」と言っていたけれど、一度しか観ない観客としては「いや、最初から完成したものを見せてよ!」と思った。プロなら失敗は隠しておくのもサービスのうち、というか。

こういう仕掛けは、演劇人なら面白いのかもしれない。もう一つ言えば、「役者が音響や照明を兼ねている、演じながらカセットテープを順番に入れ換えていくの凄い!」というのなども、演じたことのある人、舞台やドラマなどを作ったことのある人のほうが面白いのではないかなぁ、と思った。

いや実験のワタワタぶりは、それなりに楽しい。ヘリが飛ばずに口頭でフォローしたりとか(笑)。だがワタクシは不遜な観客なのだ。プロの役者がなにか凄い芸を見せてくれることは当たり前だと思っていて、苦労を慮ったりそこで感動したりは、あまりしない。実験的な作品としての失敗の面白さはわかるけれど、それはほぼ成功した上で「ここは失敗しちゃった☆」という程度だからこその面白さ。

…というのは、初日を観た他の方から指摘されたのだけども。例えば初日は、機材トラブルで開始早々に仕切り直した。前説も長くなった。もしあの部分がクリアだったら、全体の受け取り方も違ったのじゃない? と。

そうかもしれない。人生や親から子への愛に対するシニカルな視線、それを混ぜつつ徹底的にはぐらかす展開は、けして嫌いじゃないと思う。だが私には聞こえず、見えなかったのよ。あるいは、俳優も開始早々のトラブルで気持ちがうわずっていたのかも…?

観る回を間違った、それが今回の感想です。…そういうことにしておいてください。

それにしてもこの作品、なぜにこのタイトルなのか。
 
 
2017年11月17日19時30分 コンカリーニョにて観劇

text by 瞑想子

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