楽しい不可解さ:札幌ハムプロジェクト『象に釘』

屋根裏部屋で繰り広げられる二人の珍妙な会話。一体どういう状況なのか解明しようと、つい興味津々に聞き入ってしまう。脚本・演出・主演のすがの公氏の思うツボ?

 

男は、屋根裏部屋で過去に記されたどうでもいいような知識の数々を読みながら、誰かが来るのを待っていた。その誰かが、象である自分に大きな釘を木槌で打ち込んでくれるのを待っていた。それが自分の解放であると信じて。

 

現れた女は、男と話がかみ合わず、釘を打つの、打たないのでもみ合いとなり、男が逆に女に釘をうちこむ。と、ここでのルールは、象であるものが逆に相手に釘を打つと、立場が入れ替わりゲームが再スタートされる、というもの。象役は替わり、同じような会話がまた繰り広げられる。ゲームをしているだけなのか。何のゲームなのか。所詮、人生なんてゲームなのか。階下に地獄らしきものが見えるらしいものの、「ここはどこ?」「おれは死んだのか?」というようなこの劇の本質をつく質問にはっきりとした答えはしない。

 

ベケットやカフカの世界にも似て、独自の世界が展開する。実に小気味よい。二人の会話から、「存在」というものについて考えさせられる。ここでは、記憶がなくなった自分の存在は、共にいる他者によってのみ確認される。「私」の存在は「あなた」あってこそ。あなたは私の存在の証。思考や発見を記録する、という確認方法もある。しかし、そこに意味はあるのか。退屈な時間を過ごし、何かを待っている、そんな存在に、意味はあるのか・・・。いいから、とっとと釘を打ってくれ。

 

という何やら哲学的ですらある世界のまま、終わるのかと思ったら、だ。 男と女は夫婦となり子供をもうけた。がっかりだ。人間の存在を問う壮大な世界から、卑近な夫婦生活の世界に矮小化された。もちろん、『通常の人間の営みや愛情が、「存在」を豊かにし意味あるものにするのだ』、と一定の人生賛歌に終わるのね、と理解することはできる。それにしても、だとしても、宇宙から茶の間へ降りてきた感じで、つまらなくなった。男女の性別関係なく、「存在」対「存在」の世界のほうが魅力的だった。タブローシーンで終わってくれてよかったのに。それまでの世界が独創的で面白かっただけに、そのままいってほしかったのだ・・というのはもちろん偏屈な個人的感想で、観客の皆さんは夫婦の様子に安心し笑っておられた。

 

すがの氏のプロフェッショナルな役者ぶりが、場を盛り上げた。この回の相手役、中塚有里氏は、発声がすがの氏のそれと比べると物足りないものの、好演だった。

 

「ゴドーを待ちながら」を連想させる二人芝居。不可解なところが楽しめる。今後の作品にも期待したい。

 

2017年11月23日14:00 シアターZOOにて観劇

text by やすみん

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