大好物のシェークスピアを演じてくれてありがとう。演技研究講座で舞台に立った挑戦者たちを応援したい。という気持ちで、感想を書かせていただこう。
簡潔に筋を追った素直な演出に、俳優陣が一所懸命について来た、正しい成果発表会だった。長いセリフが多いところを劇団員以外のメンバーもよく頑張っていたと思う。みんな、自分の思う成果は出せたかな。
ご存知のように、シェークスピア戯曲には、細かなト書きというものがない。主人公のリチャード3世がいわゆるせむしでびっこというのも、始まりの彼自身の有名なセリフで語られるのであって、登場人物書きにそう記されているわけではない。状況はすべてセリフから読み解くか想像するしかない。セリフ内容と食い違わなければ、服装も動きも何でもオーケーなのだ。これは、シェークスピアが現代風にも中世風にも自由に演出できる所以であり、演者に限りない自由な動きを与えるものだ。逆に自分なりの人物像把握と想像力がないと、ただ突っ立ってセリフを言うだけになってしまう。本作品での挑戦者たちは、未だミニマムな身体表現で物足りないものの、彼らの緊張感が真摯さとなって伝わって好感がもてた。生の人間たちを生の人間が見るのだから、伝わるものはストーリーや理屈だけではない。演劇とはそんな生き物だ。
キラッといいなと思ったのは、ヨーク王子の石川凛氏、リッチモンド役の鈴山あおい氏。これも理屈ではない。
リチャード3世は、ただ容姿も根性も悪い奴、だったかも知れない。恋もできないから権力に走った、というのもある。そうなのだが、この王位をめぐる一連の虐殺は、彼を嘲笑した周囲の人々への仕返しというのみならず、神への反抗であったと思う。戴冠式が教会で行われるように、英国の王位は神から授かる。王位を奪うことは、本人の嘆く醜い体に造った創造主である神への挑戦、反抗だった。戯曲最初のリチャード3世が我が身の不具を自嘲するセリフは本作ではカットされていたが、自らこれから行う悪業の動機を語ったものでもあり、それは創造主である神への恨みと当てつけでもあった。状況はどうあれ、兄弟殺しという、聖書のカインとアベルを思わせるプロットから始まることも、神に愛されていないことを不満に思う者が自分を認めてほしくて行う殺人を示しているようだ。やはりこのセリフで始めてほしかった。
以前にもどこかで述べたのだが、誰がどうしたって翻訳されたシェークスピアは色彩を失う。それは言葉の美しさとリズムだ。「リチャード3世」は、マーガレットや王家の死者たちの呪い文句が美しい(?)。「絶望して死ね!」というより「Despair and die! (デスペア アンド ダイ)」の方がエコーかけた時きれいに響くでしょ。
それでもどんな言語でも、シェークスピアを演じる価値は計り知れない。特に、歴史物と言われる本作などの王位をめぐる戯曲は難解に聞こえるが、歴史に関係なく、政治ドラマだと思えば面白い。
弦巻楽団の演技講座がシェークスピアを取り上げていることに安堵する。何と言っても演劇のグローバルな基本だし学ぶことは多い。長く続けてほしいと思う。
2017年11月25日14:00 サンピアザ劇場にて観劇
text by やすみん