【特別寄稿】TGR札幌劇場祭の授賞式に参加しながら考えたこと  寄稿者:遠藤雷太

 
今年もTGR札幌劇場祭の授賞式に行ってきました。3年連続です。
私自身は、過去に自分の団体の作品を出したこともなければ、特に出す予定があるわけでもありません。
どう上品に表現しようとしても「野次馬」としか言いようのない立場です。

それでも行ってみるのは、演劇作品が公の場でどのように論じられるかということについて興味があるからです。
演劇の評論はとても難しいものです。原則、演劇作品には共通テキストがないからです。
演劇の場合、同じ演目でも演じる俳優、スタッフ、演出によってまるで違う作品になります。
全く同じ座組であっても上演日によって出来は違いますし、同じ回ですら、お客さんがどこに座るかによって見え方が変わります。それぞれで観ているものが違うのですから、普遍性のある評論を書くのはほとんど不可能だと思っています。
実際、自分の運営するブログでもよく観劇の感想を書きますが、とても劇評と呼べるようなものには至っていません。

一方で、そんな無理を通すからこそ、「技」であり、創造性のある「芸」にも成り得るのではないかという気持ちがあります。
そのきっかけとして、審査という名目だとしても、真剣に演劇作品が論じられるTGR札幌劇場祭はとても大事だと思っているわけです。
今年は授賞式のみで講評会自体は行わませんでしたが、後ほどWEB上で講評が掲載されるとのことです。
例年通りなら、かなり読み応えのある講評です。楽しみに待ちたいと思います。
(ほんとは「公開講評会がないのはさびしい」と書きたいのですが、WEB上にアップされた過去の講評の質・量を見ると、とてもそんなこと言えない)
 

 
小劇場系の演劇は、観客の総数があまり多くありませんので、論じられる機会がなかなかありません。
しかし、状況は少しずつ変わりつつあって、この文章を載せていただいている<札幌観劇人の語り場>さんのサイト内にもたくさんの文章が掲載されるようになりました。
演劇関係者ではないと思われるのに、びっくりするくらい観劇数が多い方もいらっしゃいます。
それこそ、のちのちのこちらのサイト発でTGRの審査員になれるような人材がたくさん出てくると面白いのではないかと期待しています。
「カリスマ評論家」と書くとアホっぽいですが、まじめにそんな存在が出てこないかなと思っています。
演劇には、筋トレのようにわかりやすく成長が見えるようなトレーニング方法はありません。みんな、常に上達するヒントやきっかけを求めてあがいています。
そのためにも、演劇の内容だけでなく、それぞれの立場から演劇を語る言葉が豊かになってくれたらいいなと思っています。
私も作り手側の端くれとして、言葉を磨いていきたいと思います。
 

 
ところで、TGR札幌劇場祭の授賞式は、誰でも参加できて、入場料も必要ないということは、どこまで認知されているんでしょうか。
一般のお客さんでも普通に入れるし、うまくいけば、関係者の方に「あの時のあのシーンは何なんですか?」と取材することだってできるかもしれません。
思惑通り答えてくれるかどうかはおいといて、そういう言葉の磨き方があってもいいと思っています。
また、真っ当に努力してきた作り手が、真っ当に評価される瞬間に立ち会えるのは楽しいことです。
来年のTGRは、札幌エリアの演劇好きの皆さんにもぜひ会場へお越しいただき、審査結果とその結果に一喜一憂する演劇人たちを見届けていただきたいと思います。(野次馬仲間を増やす作戦)

最後になりましたが、各賞受賞された皆様、おめでとうございます。
そして、TGR札幌劇場祭の関係者の皆様、本当におつかれさまでした。
今後の皆様の発展を心からお祈りしております。

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遠藤雷太のうろうろブログ

寄稿者:遠藤雷太
エンプロ代表 劇作家

text by ゲスト投稿

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