札幌への謝辞 〜全国小劇場ネットワーク会議 in 那覇 の背景〜 寄稿者:野村政之

2017年12月1,2日に行われた「全国小劇場ネットワーク会議 in 那覇」の、そもそもの事の起こりに札幌の演劇界は深く関係しています。

2015年の8月13,14日にかけて、(一社)おきなわ芸術文化の箱の安和朝彦さん、当山彰一さん、安和学治さんとともに私は、夏の札幌演劇シーズンが行われている札幌を訪れました。
この3名が沖縄県と(公財)沖縄県文化振興会が行う補助事業(所謂「沖縄版アーツカウンシル事業」)の説明会にやってきたのは、遡ること4ヶ月前。「劇場をつくりたいのだが、何かよい方法はないか」というのが彼らの相談内容でした。
私は、事業者を支援するプログラムオフィサー。
こまばアゴラ劇場と劇団青年団の制作として劇場の仕事に携わり、ユーザーとして全国を訪ね歩いてきた身としては、ど真ん中の直球が来ました。これには本気で、フルスイングで応えなければならない。さらに、これは自分の今後にとっても試金石になるかもしれない。そう考えました。

私が提案したのは、「全国に民間で小劇場をやっている面白い人達がいるので、会いに行きましょう」…全国の小劇場への視察行脚でした。南西の端に位置している沖縄で劇場を開くということは、中心大都市とは違うノウハウやエネルギーが必要であろうということも考えました。
まず、札幌に行く、というのはどうか…。

札幌の独特のあり方については、アゴラ劇場と青年団に常勤していた時期に、時々平田オリザさんから聞くことがありました。演劇鑑賞会が他の地域と違う発展の仕方をしたこと、北海道演劇財団という民間の財団があること、など。一時期、札幌劇場祭とアゴラ劇場の舞台芸術フェスティバル〈サミット〉の交流もありました。
2012年5月には劇団サンプル『自慢の息子』北海道公演でコンカリーニョを訪れました。当時インターネットでコンカリーニョの歴史などを調べたりした覚えがあります。

北海道は沖縄と同じく、船や飛行機を使わなければ行けない島。その分、外を頼み、外から何かを持ち込むのではなく、自分たちで環境を維持していくことが必要になる。そのことが他地域と異なる札幌の演劇人たちの自主性につながっているのではないか…そういう印象を持っていました。
00年代、一気に東京に一極集中したようにも見える演劇界に、今、沖縄から一石を投じるとしたら…。まず南の端から北の端へ学びに行くという着想は、明快で、面白い。

果たして、私の直感は的中しました。

『自慢の息子』の時にお世話してくださった小室明子さんにコーディネートをお願いし、複数の劇場関係者、演劇関係者とお会いすることができました。特に、その時平田修二さんからお聞きしたことは、私やおきなわ芸術文化の箱の皆さんを強く鼓舞するものでした。

札幌演劇鑑賞会~北海道演劇財団の設立~札幌劇場祭のコンセプト・仕組み~札幌演劇シーズンのコンセプト・展開、加えて「一番近い西洋国」であるロシア・サハリンとの演劇交流、韓国との交流…「民間による公共」の考え方とその実践。
自分たちが暮らしている場所を中心に置いて、そこから発想する姿勢。
3年前まで東京に居て、地方をまずビハインドから語る地方(出身)の演劇人、東京が基準かのように振る舞って地域に無理解な演劇人に違和感を持っていた私としては、平田さんのお話に「やっぱりそうだったか」と、ある種の安堵感を覚えました。「きちんと全国レベルのコンセプトを発想・実践できれば、堂々と環境は創れるのだ」と。ここにも頼れる巨人がいた。

この時、札幌演劇シーズンではイレブンナイン『12人の怒れる男』とintro『蒸発』を拝見しました。またこの演劇シーズンにプログラムされていた札幌座と風蝕異人街がどのような作品を創っているか、個人的に既に知る機会がありました。

札幌演劇シーズンは、「札幌で創られた優れた作品の再演」を、一般市民をターゲットに、1ヶ月毎日上演するというコンセプトを持っています。この企画で、作品性の全く異なる作品が上演され、しかも観客を集めているという事実。札幌の演劇の熟度を示していると思いました。札幌では、外に頼むことなく、堂々と、地産地消でこれだけ豊かな選択肢が市民に提供されている。
札幌で出逢った様々な方のお話を聞くうちに、この感じは全国の小劇場運営者にとって基礎教養とされるべきだろう、という思いがしました。札幌の環境の水準が、全国でふさわしく評価されていないように思えたというのもありました。

そうして、まだ札幌に居るうちに、おきなわ芸術文化の箱の皆さんに、「これから創る劇場がオープンしたら、札幌から平田さんたちを招いて会議をしましょう」「北海道と沖縄が呼びかけ人になって全国会議をやるって面白いじゃないですか」と話したような気がします。「いいね! やろう!」と3名の皆さんも答えてくださいました。当時はちょっぴり夢のような話でしたが、今振り返ると、ここに表れているコンセプトの明快さは、今回の会議にとってとても大事な要素だったと思います。

これが「全国小劇場ネットワーク in 那覇」の事の起こりです。
その後、東北〜近畿〜九州〜関東と、沢山の劇場への視察を重ねた末、2017年夏、アトリエ銘苅ベースが劇場としてオープンしました。
以来2年間、この時のことを思い出しながら、私は「全国小劇場ネットワーク in 那覇」の開催を1つのマイルストーンとして、絶対に成功させたい、という思いできました。

ちなみに、この札幌視察は、得難い副産物も生みました。全国小劇場ネットワーク会議の関連プログラムとして最後に上演した『9人の迷える沖縄人(うちなーんちゅ)』です。タイトルからすぐ分かる通り、『12人の怒れる男』をモチーフとしています。
イレブンナインによる札幌での公演にインスパイアされた安和学治さんが、同じ劇艶おとな団の国吉誠一郎さんを誘って、誰に求められるのでもなく書いた作品です。視察の3ヶ月後には試演会を迎え、翌2016年9月には鳥取・鳥の演劇祭に招かれ高評を得ました。鳥取公演では沖縄で活動する主要劇団から広くキャストを集めた座組で臨み、現代の沖縄の抱える課題を、演劇を通して県外の観客に伝えることの意義を肌で実感するよい機会になったそうです。これは今後の沖縄の演劇界にとって非常に意義深いものだと感じています。

ここまで、札幌の演劇界を最大限、持ち上げるだけ持ち上げてきました。この数年の間に、後継への代替わりが進み、いま札幌で実際に活動されている方々は、私の浅薄な受け取り方に違和感を持つかもしれません。でも。全国小劇場ネットワーク会議で、札幌のこれまでの努力が、全国の多くの劇場運営者に共有され、糧になっていることは確かです。

これらが日の目を見るのはこれからです。全国小劇場ネットワーク会議が終わって数週間、3日と空けずに何か思いつくことがあります。それが実現したら、札幌の先行投資の意味がもっと共有されるのではないかと、私自身、期待をしています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

寄稿者:野村政之
公益財団法人沖縄県文化振興会チーフプログラムオフィサー

text by ゲスト投稿

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