とんちんかんなお父さんと、まあまあ普通のお母さんと、たくさんの兄弟姉妹。
大嫌い、大嫌い、嫌い嫌い嫌い
そうは言っても離れられない、そう言っても許してもらえることを知っている甘え。
それぞれ折り合いがついたり、つかなかったり、そういうのが家族だろう、
と思いきや、もっともっと、大きな意味での「家族」の話だった。
血がつながっていなくても、過ごした時間をなかったことにはできないし、
どうしたって忘れることもできない。
それでいい。
核家族化が進み、孤立化も進む、無縁社会が叫ばれる現代に響く劇だと思った。
それが笑いになっているんだから、ずるい。
屋根の上が舞台になっているのも面白かった。
カレー、食べたくなった!
<観劇中・観劇後にひもづけたもの>
・星野源 Family song
多様化する家族のうた。
・soarの記事
児童養護施設のお話だけれども、「家族」のとらえ方として同じようなものを感じた。
(ほんとはURLを貼りたかったのだけど、どうしてもこの表示になってしまう…!!)
・ほぼ日刊イトイ新聞の記事
http://www.1101.com/artmusicword/2016-12-05.html
ページ中盤、横尾忠則の「回数」の考え方にのっかって、糸井重里が「愛」は「親しさ」だね、と言う。
親しくないひととは会うのが2,3回目だねってわかるけど、
親しくなるとその回数はもちろんカウントしなくなる。
家族と何回言葉を交わしたかなんて、もちろん覚えていない。
家族とは、回数がわからなくなるくらいの日々を延々と繰り返して、積み重ねているんだなと思う。
きっと桜田家も、幾度となく食卓を囲み、幾度となく他愛のない談笑をし、
そんな小さなことで、と思うような喧嘩を幾度となく繰り返し繰り返し、積み重ねていたのだろうと思った。
2018/1/23 19:30
コンカリーニョにて
text by 中脇まりや