さすがです。 イレブンナイン『サクラダファミリー』

イレブンナインなので、基本的に喜劇である。何しろサグラダ・ファミリアのもじりとしか思えないタイトル。ここで笑ってしまう。このネーミングを見ただけでこのお芝居を観ようと思ったほど。そして喜劇ではあっても納谷氏の脚本であれば『あっちこっち佐藤さん』(原作はレイクーニー)と同じように、最後に大どんでん返しが期待できる。観終わってみれば、期待を裏切らない作品だった。

お芝居の前半は登場人物の紹介を兼ねた演出で、総勢20名の人間関係が明らかにされる。子どもたち全員の性格が違っていて、それぞれにキャラが立っている。イワオは4男3女の子どもたちに、家族、あるいは恋人を連れて集まることを求める。そこに22年前に桜田家を飛び出して音信不通となっていた次男ナツオが現れる。実は、イワオはナツオの母親に連絡を取っていて母親から招集がかかったことを聞き、ナツオは久しぶりに帰省することを決めたという設定。これで全員が揃う。

子どもたちは母を棄てて新しい女と連れ添い、子どもが生まれるたびにその母親を棄てるイワオを猛烈に憎んでいた。それでも、「実家」に戻ってくる子どもたち。
一方、イワオは、桜田家の隣にある教会に出向き、家族に話そうとする秘密を、シスターたち相手にリハーサルする。すべてを自分の言葉で明らかにしようとするがどうしても弱気になってしまう。
やがて三男アキオ以外が揃った桜田家で、イワオは「桜田家は解散する!」と宣言する。同居する7番目の妻キヌエ、そして大学4年の三女マツコにも家を出るように命令する。
「どうせオヤジのわがままだろ」「身勝手すぎる」と非難する家族たち。これまでのイワオの言動に辟易していた子どもたちの中にもそれに賛成する者もいたが反対する者もいた。その急先鋒は22年間音信不通だったナツオ。しかしこの22年間をイワオの近くで過ごしてきた子どもたちの中には「これがナツオのいなかった22年間」となだめる者もいた。

(ここからはオチ)
なぜイワオは桜田家の「解散」を宣言したのか。
それは、子どもたち全員がイワオと「血のつながり」がなかったから。
頑迷なイワオであったが、その実、シングルマザーとなった女性と結婚し、そのたびに子どもを引き取っていたのであった。
しかも、である。
なんと長男ハルオが現在の妻オリエと結婚する前、イワオの7番目妻キヌエとの間に子どもが出来て、その子どもが三女マツコであった。加えて、イワオ自身、子どもの頃におたふく風邪をこじらせて子どもが出来ないという話も飛び出し…。
全員、イワオとは血のつながりがないことを知る子どもたち。サクラダファミリーは血のつながりがない「集団」なので、全員が独り立ちできれば「解散」しても問題ない。ナント切ない設定だ。

一言でいえば、さすが納谷さんの本である。オチを知っても最初は理解できなかった。しかし、頑固オヤジが子どもたちをちゃんと育て上げるという意識で子どもたちに強く当たっていた(教育していた)と考えると、俄然、ストーリーが別の色彩を帯びてくる。そのことに気付くと涙腺が緩んでしまった。

先にも書いたように全員のキャラが立っていたので、人間関係はすこぶる分かりやすかった。しかも、全員安定感のある演技であった。イワオ役の納谷さんはもちろん、キヌエ役の小島達子さん、ハルオ役の明逸人さん、ナツオ役の江田由紀浩さんなどお馴染みの役者さんたちが顔を揃えたので、イレブンナイン好きにはたまらなかった。中でも、マツコ役の廣瀬詩映莉さんはバツグンの出来だった。ギャルソンモンケ『乙女の祈り』のときもいいお芝居をしていると思ったがそれ以上の演技だった。また、三男アキオの娘ユウナ役の宮田桃伽さんも、秘密が明かされたあとに「家族の絆」を再認識させる場面での演技は涙を誘うほど気迫があった(宮田さん、いったいいくつ?笑)。

このお芝居は声を張り上げるセリフが多かった。口角泡を飛ばしての丁々発止。20日から演じているので、納谷さんはじめ、ところどころで声がかすれてしまう役者さんがいたが、大声でわめいても声がかすれていてもセリフが聞き取れるというのはさすがである。今回ほど大声が苦痛ではなかったことは珍しい。

舞台は、屋根付き一軒家の居間風だったが、屋根は別場面のストーリーを展開するために使われて実に凝った装置だった。たとえばそれは、人が路上で会話する場面であったり、教会でイワオがススターたちと会話する場面などで使われた。居間の小道具も凝っていて、サイドボードの中には横置きされた広辞苑(きっと使われることはないだろう)、天板にはミニチュアの太陽の塔(誰かが修学旅行で買ったみやげだろう)があったりして『あるよなあ』と思わせる配置だった。
また、桜田家では、ナツオが家を飛び出す22年前まで、大晦日に年越しカレーを食べることになっていて(ナツオがそばアレルギーだったという設定も細かい)、「解散」前に全員でカレーを食べる場面があった。これがホンモノのカレーライスで、会場内にほんのりとカレーの香りが漂い、まさにそこに「家庭」があると錯覚させる演出効果だった。

そういえば賛美歌を歌うシスター5人組が登場する場面もあった。最後に歌った「蛍の光」は、紅白歌合戦で歌われる「蛍の光」の歌詞ではなく賛美歌「めざめよわが霊」の歌詞であったことにもさすがと思った。シスターが歌うのはメロディーは一緒でも「蛍の光」ではなく「めざめよわが霊」なのだから。

とはいえ、気になったことがひとつふたつ。
秘密を知った家族たちの終盤のやりとりの場面。やや冗長気味のような気がした。これでもかこれでもかとセリフが続き、その内容に考えさせられる場面が展開するが、『そこまでいわなくても分かるよ』と思った場面もあった(具体的には思い出せないが)。
さらに、一番最後の場面は、年が明けて1月1日の場面で、家に一人残ったイワオのもとにキヌエとマツコが戻る。ここで二人がイワオに向かって「バカだ」と叫び、イワオが「バカといった人間がバカなんだ」と叫び返して終幕を迎える。「バカといった人間がバカなんだ」というフレーズは前半でも出てきてそれに呼応する演出だと思うが、果たして必要だったのだろうか。なくてもお芝居は成立すると思う。もっとも泣かせて終わるのは本意ではないとの意図だろうとは思うのだが。
ついでにいえば、三男アキオはカレーを食べる場面で合流し、「解散宣言」の場面には立ち合っていなかったが、この意図が分からなかった。

ちなみにカーテンコールで写真を撮らせてくれた。基本的に演劇では学生演劇を含めて写真撮影禁止だが、そのお芝居の魅力を記憶に留めるために記録し、それをSNSなどで友だちに伝えるためにカーテンコールでの写真撮影ぐらいは許可して欲しいなと思う。その点でこのお芝居のカーテンコールはさすがであった。日本以外ではライブコンサートでも写真撮影は認められている場合が多いようである。なぜ日本だけダメなのだろう?

このお芝居は5年前の再演だそうである。今回は20日に始まって28日が千秋楽だった。小生が観た27日のマチネーは満席だったし、他の日も満席のようである。これまた、さすがというしかない。

血のつながりがあるから家族なのか、血のつながりがなければ家族ではないのか。家族を誰が決めるのか。家族とは何なのか。現在かかわっている仕事ではこのことを意識せざるを得ないだけに、月がきれいに見えた帰路では、このことが脳裏から離れなかった。

上演時間:2時間3分。

1月27日14時 コンカリーニョ

投稿者:熊喰人

text by 熊喰人(ゲスト投稿)

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