絶望は希望に変わるのか 円山ドジャース『誰そ彼時』

円山ドジャースは、このお芝居のためだけに集った俳優、ミュージシャン、タレント、番組レポーターなどによる団体であるという。総勢15名が登場し舞台狭しと演じていた。

物語の視線は27歳になった円山家の娘。この娘の父親は若いときには花形の社会部記者だった。幸せな家族生活の中で、野茂英雄の活躍に魅せられた娘は父親にグローブが欲しいとねだる。しかし娘が7歳のとき母親の突然の死で幸せな生活が暗転。父親は徐々に精神的に荒んでいき、それに耐えられなくなった娘は、高校を卒業すると同時に役者を目指して状況する。
そして10年。札幌に呼び寄せられた娘の目の前には、57歳にして若年性アルツハイマーに冒された父親の姿があった。その父親が娘に発した一言が「あなたは誰ですか?」
はたして娘にふりかかった絶望は希望に変わるのか。

印象深かったのは、父親がある女性に数百万のお金を送金していて、円山家に現れたその女性にお金を返すように娘が迫る場面。いわば謎の女にお金を渡しているような格好だったが、実は、それは父親が自分の状態が悪くなることを見越してあらかじめお金を渡しておき、いざというときに(治療のためなどで)使って欲しいという意味があったというくだりだ。何年も音信不通の娘より信頼の置ける身近な存在に託すというのはありうる話だ。

ストーリーとしては極めて単純で分かりやすい。舞台は円山家での話がメインだが、途中で、上京して役者の勉強をしているときの娘と役者仲間の話が挿入される。
話の後半では、会場ではすすり泣く声も聞こえてきた。 しかし小生は泣けなかった。 自分が自分であることを忘れてしまうという現実。To you who forgot I forgot.
あまりに身近に感じられるテーマで、「泣いておしまい」という気分にはなれなかった。人それぞれに受け止め方が異なる好例だろうと思う。

泣けなかった理由をもうひとつ挙げれば、それは、東京での役者の勉強をしているときの話で、役者さんたちの力が入りすぎて、これが結構な時間続いたため円山家での話にのめり込めなかったから。役者仲間で50万円ずつお金を出し合って劇団を作る。どこにも負けないカンパニーにするという意気込みを持っていたにもかかわらず、仲間のひとりがお金を持ち逃げしてしまう。このことが娘の夢を砕き、しかも10年ぶりに札幌に戻ってみると父親の変わり果てた姿に絶望する。東京と札幌という、ふたつの場所を対比することで複層的な意味を込めたように見えるが、もう少し抑えた演技でも十分意図は伝わったと思う。

さて、多彩な役者さんたちが登場していたが、印象に残ったのは、やっぱり武田晋さん。本物の役者さんの演技を見た。いい役者さんです、本当に。
おばさん役で登場した安達祐子さんはお芝居の中で一服の清涼剤的存在だった。東京の場面でも円山家の場面でも終始緊迫した場面が続く中で、異なる空気感を醸し出していたと思う。最初の場面で、自分の過去を披瀝する場面があるが、「昔はスーパーモデルといわれていたのよ」と自慢げにいったが、おばさんが取り出したのはスーパーのチラシで、「スーパーのモデル」というオチには爆笑した(本当のこと?)。

登場人物の名前が分からないので、出演者だけを挙げると、武田さん、安達さん以外に阿部星来(娘役)、山村素絵(お金を託された女性)、高橋なおと、ミニマム齊藤、沢英里子、黒岩孝康、ナガムツ、小倉佑介、池江蘭、水田俊輔、長谷川咲来、富田真衣、岩ヰフミトの皆さん。母親役の沢さん、若くして亡くなる設定だったが、もっと見ていたかった(いろいろな意味で。笑)。久しぶりにナガムツワールドにも接して『不思議な人だ』と再認識した。
舞台装置も凝っていた。部屋一面に脱ぎ捨てられた服、複数のゴミ袋に入れられたままのゴミが父親の境遇を物語っていたし、階段を付けたり、舞台上部にも人が立てるような装置を付けたり、さぞかしお金がかかっているんだろうなあと思わせる舞台装置だった(余計なお世話ですが)。

今日はアフタートークもあり(トークというより挿入歌の生歌がメインかな)、最後まで楽しませてもらった。

上演時間:1時間50分
2月3日14時 コンカリーニョ

投稿者:熊喰人

text by 熊喰人(ゲスト投稿)

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