美しい音に導かれた悲劇 ホエイ『珈琲法要』

音が美しい舞台だった。

しゃべり方によっては、滑稽にも聞こえる津軽弁の愛らしい響き。
アイヌ語のやわらかなイントネーション。
ムックリの音色。
茶碗を叩く音。(正確には皿だが)
死者の名前の読み上げは、経のようなリズムをつくる。

ことばが意味よりも音として耳に入ってくる。

史実に基づいた物語である。
江戸後期、ロシアの襲撃に対する蝦夷地警備のために派兵された津軽藩兵たち。
詳しい内容の説明をするではなく、場面、場面が重ねられていく。
場面が変わるごとに過酷な寒さと死がこちら側に迫ってくる。

お上の言うことをまるのまま信じて、あるいは信じていると自分に思いこませて、
バタバタと死んでいく仲間を弔いながら、冬を越す。
万能の薬だと送られた珈琲も信じて、ありがたがって口にして。
ようやく命を繋いで迎えた交代の時に、待っていたものが、信じていたはずのものからの裏切り。
信じて信じて、突き進み、耐え忍び、命をかけてまで、命を落としてまでして、得たものがこれでは虚しすぎる。

しかし、今のわたしたちはこの時に起きたことから、何も学んではいない。
明治、昭和と同じことを繰り返している。
この平成の世になってさえ。

物語の最後に、アイヌの娘がつぶやく
「和人はどこまで行く?」という言葉。

わたしたちは、どこまで行こうとしているのだろう。
 
 
2018年1月31日 14:00

投稿者:わたなべひろみ(ひよひよ)

text by ゲスト投稿

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