削ぎ落として集約:ミヤギ能 オセロー〜夢幻の愛〜

さても「オセロ」はご存知のように「嫉妬」や「人種」がテーマによく取り上げられるシェークスピア劇だ。それに舞台や映画のプロダクションでは、やりがいある?役はオセロに妻のデズデモーナが浮気していると嘘を吹き込むイアーゴであり、いかにこの悪人を演じるかが見所の一つだ。筆者も、演劇はもちろん、オペラであれ映画であれ「オセロ」は、誰がイアーゴかが注目点である。ところがところが、ミヤギ能「オセロー〜夢幻の愛〜」では、オセロとデズデモーナの「愛」に焦点を当てた。

夢幻能のスタイルに則って、ワキの僧侶がシテであるデズデモーナの霊の話を聞く。でもって弔って霊が去っていく。これに宮城氏お得意の、語り手と動き手に分けるというスタイルも加わる。「オセロ」の主なシーンが間狂言として演じられる。

イアーゴが従順そうにオセロに嘘を吹き込みながら、将軍であるオセロの鎧を着付けるシーンがその一つ。オセロの肘下に、パソコンサーキットのような飾りを施した黒いアーマーが付けられる。ダースベーダーの腕を思わせるような大きなもの。妙に目立つなと思ったら、これが後であっと思わせる仕込みなのだった。

デズデモーナの霊は、無実なのに殺された無念をひとしきり嘆き、やがて取りいだしたるは、あのオセロの黒いアーマー付き手袋!これを片腕にはめる。そしてこのオセロの手を象徴的に使って、美加理さん演じるデズデモーナが彼への思いを無言で表現する。まずオセロの手は彼女の首に・・首を絞められたときの悲しみと驚きが切なく表現される。しかしやがて彼女は、その手を愛おしく抱きしめる。口には出さずとも、「心の底から愛していた」と読み取れる。必殺、ミニマム表現ともいうべき、この一瞬に本作品が意図する「オセロ」を集約してみせた。

互いに相手に理想を見て惹かれ合った二人だが、実は互いにキレイな面だけしか知らなかった。この絞殺の瞬間に、オセロは生身の自分自身とその愛を初めて彼女に見せたのではないか。デズデモーナは、この瞬間に、今まで尊敬していたオセロの勇猛な武人ぶりが、野蛮さとなって己の身に降りかかってきて驚くとともに、その愛の激しさを知ったのではないか。

そもそも誤解を恐れず端的に申せば、オセロも直情的で恋愛下手なバカだが、デズデモーナも勘の鈍い純情ばか。妻はもっと夫の変化に敏感でなければ!なんかこの人、様子が変だわ、って思わなくちゃ!純な愛ってもろいのね。原作では、首を絞められてからもしばらく生きながらえるデズデモーナが、飛び込んできたメイドに、「無実で私は死んでゆく」と言うのだが、その直後、「誰がこんなことを」と問われて、「誰でもない。私自身。」と答えて死ぬ。オセロをかばったのだという人もあるが、「親に内緒でオセロと結婚したのは自分だから、こうなったのも自分のせい」、であるとともに、死んでようやく、「私は夫を理解していなかった、彼の悩みに気づいてあげるべきだった」と悟ったのだと思いたい。まったく美しく純粋なだけでは、妻はやっていけない。

能という日本独特のスタイルに大きな可能性を見た作品だった。様々な作品の死んだ登場人物をシテにして死後の後日談?を語らせれば面白いではないか。でもロミオとジュリエットはあのまま死んでいてほしいからやめて。ハムレットはめんどくさくて鬱陶しいから生き返らないで。「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ その後」というのはどうだろう。

 

2018年2月25日14:00  静岡芸術劇場にて観劇

text by やすみん

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