いい意味で「嫌な気分」に 小松台東『消す』

「ホエイ」「劇団野の上」の山田百次(以下、百次さん)と知り合ってから、今年で4年目になるらしい。その百次さんが出演する、ということで小松台東の舞台を観始めてから、これまた4年目になるらしい。もちろん、百次さんが出演しているのが観劇のきっかけになってはいるが、小松台東の舞台の魅力は、「そこら辺にいるような普通の人々の生き様を丁寧にすくい取る松本哲也のまなざしから生まれている」と勝手に思っていた。

が、今回観た『消す』は、これまでの心温まる作品とは一線を画し、いい意味で嫌な気分になった。

物語は、宮崎のとある一軒家で始まる。夫は自営業、妻は外で働いている夫婦の家に、なぜか身内でも友人でもない男女が同居している。また、その家に出入りする隣の家の奥さんと夫の下で働いている若い男は不倫関係のよう。数カ月前に自営業の夫の父がなくなっており、そのことを東京で暮らす兄に伝え、その兄が帰郷したことから、彼らの関係が明らかになっていく…。ものすごくざっくり書くとこんな感じだ。

私が観てきた小松台東の作品は、最初から人間関係がはっきりしたものが多かった。それが今回の『消す』は、話がある程度進むまで関係性が明かされない(明かされても大半が、はっきり、ではない)。しかも、それぞれが家族や古くからの知り合い同士なのに、聞きたいことを聞けずに、言いたいことも言えない。ヒリヒリとする一方でもどかしさも続く。ラスト近く、登場人物9人がほぼ出そろった上での丁々発止のシーンでは、必ず誰かから横やりが入る。それが思いやりからのものであっても、単なる怒りの矛先であっても、強制終了させられたせりふの先に「何があるのか」を、観客は役者の表情や姿から「忖度」しなければならない。-と、最後までブンブンと振り回された気分だ。しかしながら、役者一人一人の演技はうまい(当たり前か)。特に、兄役の瓜生和成(東京タンバリン)のどうしようもなさぶりは、弟でなくても殴りたくなる図々しさ。最初は普通だと思っていた人たちがどんどん愚かな面を見せていき、「何なの、この人たち」と嫌になったのである。とはいえ、こういう人間関係に思う所もある。終演後にそれを思い出し、さらに嫌になりながら三鷹駅まで歩いた。

この『消す』が札幌で上演されることになったら、札幌の観客にどう受け取られるのか知りたいところだ。

 

5月24日、東京・三鷹市芸術文化センター星のホール

 

 

text by マサコさん

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