娘と家族になったのは、彼女が8歳の頃だった。私と夫の結婚を後押ししたのも彼女だ。勝負事じゃないのはわかっているけれど、我が家にだって物語に負けないホームドラマがある。余程の物語でなければ跳ね返してしまいそうだ。
ある一編の詩の意味を追い求め、10年間ミュージシャンとして世界中を飛び回っていたお調子者の長男・ヤマト。そんな兄を疎ましく思いながら地元に残り、実家の漬物屋を継ぎ苦労する次男・カクマ。舞台はこの二人の関係性に焦点を当て、物語は動き始める。
とにかくテンポが良く、鮮やかな場面転換が印象的な舞台だった。縦横無尽に役が入れ替わり、役者は生き生きと舞台の上で躍動する。ヤマトの波瀾万丈の旅物語が再現される度に、娘はケラケラとよく笑った。一方で、カクマの葛藤が垣間見えるシリアスなシーンでは真剣に見入っていた。その落差をやけにスペクタクルに感じたようで、見終わった後には妙にスッキリした顔で伸びをしていた。大人がじんわり染み入るような内容かと思っていたのだけど、小学校高学年の娘にも十二分に楽しめる内容になっていた。
家族はどうやって作られるのだろう、とぼんやりと思った。私が今一緒に暮らしている家族には、私と血の繋がっている人間は誰もいない。それでも、朝が弱い私のために夫は朝食の準備をするし、私は、娘のランドセルの中が今日もグチャグチャなことを見ないふりしながら学校へ送り出す。「今日の給食うどんだったんだけど」と言いながらも、娘は残さず夕飯の煮麺を食べる。こんな私たちは間違いなく家族なのだけど、もう少し緩やかな毛糸のような紐で繋がれている感じだ。
それに比べて、自営業だからか、土地柄か、それとも彼らの性格がそうさせるのか。ヤマトもカクマも、そして彼らの妹のつくしも、家族という鎖に捕らわれた小鳥のようだった。もどかしかった。家族というのは、こんなにも堅牢な檻のような存在で互いが互いを見張るような繋がりなのか。いや違う、もっと自由でありたい。
「じ・ゆ・う」、と思わず口に出してしまった。そう、この舞台は兄弟3人それぞれが、責任という名の元に向き合うの恐れていた自由と、ついに出会う物語だ。使命から、家族から、自由になる。本当の責任を脇に抱え、自立した一人の人間として生きる。そしてそれは同時に、他者の、兄弟の自由を支え応援することでもある。そういった意味で、彼らはついに本当の家族として関係性を結ぶことができたのだろう。
じゃあ私たちは。観劇の帰り、喫茶店でチョコレートパフェを頬張る娘を見ていた。私たちは本当の家族なんだろうか。思春期に差し掛かった娘がそうやって思い悩む日が来るのだろうか。そんな思いはさせたくないという私のこの気持ちは、親として当たり前のことなのだろうか。
家族の責任とは、自由とは。娘がもう少し成長したら私たちも向き合わなければならないテーマだろう。その時に、私たちのホームドラマはまた新たな山場を迎えて動き出す。そんなことを考えさせられる舞台だった。
勝負事じゃないのはわかっているけれど。かかってこい、物語。我が家のホームドラマだってきっと波瀾万丈。優しく受け止めて生きていくよ。
6月16日14:00 シアターZOOにて
投稿者:百物気
text by ゲスト投稿