この劇のパンフレットに書かれていたあらすじでは全く内容が想像できなかった。
飼い猫のタマを探す失業者の男が深夜の森で女と出会う。
女は夜な夜な森の中でレストランを開いているという。
来客の無いレストラン。女に食事を勧められた男。代金は手持ちすべて。
薄いコンソメスープからはじまるコース料理。
レストランを捜し歩くように聞えてくる風のような足音、ふいに”あの人”と口走る女。ボトルから出てこない特製ドゥミドゥミソース。納得のいかない接客や料理の落ち度に、金を返して欲しいと交渉する男。
代金を受け取る事を辞めた女はレストランについて語る。
星の時間。孤独で静かな時間を私は提供する。
男は反論する。星の時間を生きたのはあなただ。あなたは僕を”あなた”と”足音のあの人”のために利用した。
女は片づけを終えると言う。あなたが食べたメインディッシュはタマですよ。
別役版「注文の多い料理店」とパンフレットにあったので、闇夜にまぎれ現地調達した”新鮮な”食材を調理するような、おどろおどろしい展開なのかと構えていたがそういう類ではなかった。
無職であり失業保険を来週に控えた男は社会とまだ繋がっており、森でレストランを営む女は社会と断絶しており、その両者が猫を介在して出会ってしまったのかなというところで腑に落ちた。
男にとっての猫は唯一の家族ともいえる精神的存在価値であるが、女にとっては食材としての物理的存在価値である。そこにズレが生じている。
女に関しては、無職で社会的にみっともない男をけなしていたはずが、客の来ないレストランを開店させ、男と会話をするうちに「あなたの為に開店させた」等と矛盾した事を話しだすので、はじめの内は現実的に考えて女は虚言癖や健忘症なのかと考えたが、そうではなく、時間の流れに即した考えに移り変わっていっただけなのだとわかった。
そうすると、仕事の名のもとにあれこれ柔軟な対応をしているという見解に導かれた。
誰だって意見が反対に変わることは多々あるが、この作品ではその間隔が短いだけなのだ。
他の観客は会話そのものに妙味を見出して笑っていた。
コンソメの味が薄く、まるでただのお湯である場面。
メインディッシュにかけるべきソースが固まって使えず、やむを得ず塩を使うことを女が許可するも味見も無く自由にふりかける無神経さを非難する場面。
それは役者の掛け合いの間が良かったからだろう。
2018/7/14(土) 14時 zoo
投稿者:橋本(30代)
text by 招待企画ゲスト