パンフレットから。
『30年前の爆弾事件で左足を失ったテロリストがたどり着いたのは「寝られます」という看板のある家だった。そこに暮らす魔女は手足がばらばらになった人形の修理を続ける。見つかったという、まだ生暖かかった足はどんどん冷たくなって行く。男は何を求めてさまよい歩いていたのか。』
あらすじを加筆。
女は爆弾事件のあった公民館を折れたところに住む魔女だった。
足が落ちているという電話を受ける。まだ温い、と。
男は記憶をたどる旅をしていた。男は看板を見つけ、立ち寄る。
寝ようとしながらも女の手伝いや話をしている間に少しだけ記憶を取り戻した男は爆弾事件との関与を認める。が、そのとき公民館には誰もいなかった。
女はあの日子ども達が公民館に集まるはずだったと話す。
だけどいなかった、と男。
「いたんですよ、あなたにとっては」女。
以降、女に”そうであったであろう過去”を前提にされるうちに、子どもがいたという認識に変わった男は女からの死を受け入れてもいいような曖昧な気持ち(魔法?)で意識が散漫になり、女がこしらえた水を口にしてしまう。足の話をしている間に毒がききはじめる。足が冷めたと電話が来て、その顛末を聞くと男は死んだ。男は子どもたちを傷つけていないけれど、この私が子どものように思っている人形たちはそこでバラバラにされたから仕方ない、と女は言った。
「自由は一本の足よりも尊い」(パンフレットより)というテーマがはっきりした作品で、今回の公演の中で一番好きでした。
役者さんが寝ると眠るを混同して使っていたのか記憶が定かではないですが、どちらの語もでてきました。
寝られます、というタイトルだけに違いが気になって調べてみたところ、寝るは眠るための動作とのことでした。女が能動的に寝るためのレクチャーをするという場面がありましたが、確かにあれは眠りに入る動作でした。
寝ようとし、阻止され、ふたたび寝ようとして、阻止されを繰り返し、最後は永眠に至るので、不条理劇といえども、安らかな死へ向かうという筋が通っていたのが私の気に入った要因ではないかと思っています。
ただ実際には魔女による私怨だけが真実です。
男が自由は一本の足よりも尊いとは語っていますが、爆弾で弛緩した日常から目覚めよ!とテロ行為をし、やばい、しくじったから逃げよう。あ、でも。もしも足がまだあったら連絡があるかもしれない。という際に、仲間が「戻るのは良くない」という事で聞かされた話なので、そう考えるとマヌケで面白いです。
自分で蒔いた正当性の無い種を、かっこつけて回収しようとしてるだけですから。
男は自身の足を捜して偶然たどり着いたのか、導かれたのか、あるいは魔女が人形の仇をうつために魔法で呼び寄せたのか、と深読みできる作品だと思いました。
こちらの二人の役者さん、軽妙な掛け合いで笑いを取っていました。
「ちょっと命がピリっとするスパイスはいかが?」「イヤですよ!」のようなやり取りが多く、コメディ寄りの軽さに仕立てられていて好印象でした。
不条理だからって何も暗い話ばかりにしなくたっていいと思うので。
2018/7/14(土) 18時 zoo
投稿者:橋本(30代)
text by 招待企画ゲスト