パンフレットから。
『左から13番目の部屋からの依頼を受けて会より派遣された女は、男の話し相手としてやって来た。ただの雑談は、不穏な空気に包まれていく。「チェコスロバキア人とエチオピア人が会話するレコード」を欲しがる、眠ることをやめた男は、眠ることができるのか。男とは、女とは、いったい誰だったのか。』
この公演の中では、時間が短めですっきりとした作品で好きでした。
自分の名前も思い出せないオウム返しのような問答を繰り返す男。
福祉の会から派遣として訪問する女。
男は世界にのみ興味があると主張し、それを聞いた女が別れた主人との事を思い出し、男に自分を打ち明けていく。
女にとっては男と世界は同じようなものだと認識していたのではないかと思いました。
うてど響かず、摂理やルールがそれほど存在しないものとして。
女は会話を片手間、話とは何かをしながらするものだという事に対し、男は話そのものを目的にしていました。
女性の方が同時作業が得意だからだと思いがちですが、実際は女が掃除をやりなれているだけで、何もしないで生きている男にとっては何かをするという事がただ難しいこと。その対比なのかなと思いました。
チェコスロバキア人とエチオピア人が会話するレコードについては、それ自体がかみ合わないシンボルである、と思い浮かびましたが、そもそも会話をしている時点で何かしらのコンタクト、コミュニケーションをとろうとしているシンボルでもあるので、矛盾をはらんでいるなと思いました。二人の共通目的はなんなのでしょう。
男にとっては話をすること、だけが目的ですが、女にしてみれば仕事という大きなくくりの中に話をすることが含まれているだけであって、それが行き違いを生み出したのではないかと思いました。
ただこの話については、特に不条理を感じませんでした。男の存在そのものが不条理ということなのでしょうか。
タイトルから考えると、ずっと世界によって眠っちゃいけない子守歌を聴かされ続けていたという可能性があります。
実際に男が眠ってしまうシーンのきっかけは女との会話であったので、会話によって世界の眠っちゃいけない子守歌が聞えなくなった。
あるいは、女の声がだんだんと死んだ母トシコの面影と重なって子守歌のように聞えたのか。そんな謎が残りました。
女は、理解できないもの、認識できないものは成立しないと考える傾向だったのに、それを旦那に禅問答のように繰り返されることで嫌になったということなのでしょう。
男にも問答を繰り返され気持ちに限界を感じた。
しかし、男と時間を過ごし、少しずつの変化していく様子が、女の性格を変えるスイッチになった。
そして気づいた。理解しようとするから不条理に思う。共有すればよい。すなわち、一緒にいる時間によって共有した時間こそを真実だとすればそれは確かなものだということに気づいた。
だから、死んだ男を最後まで見届けたのち、別れた男に会いに行くと告げたのでしょう。
別れた主人と共有した時間についての話、いわゆる思い出話をしようと決心したのだと思います。
個人的にクラアクさんの『5月の蝶』のDモン役以来、信山さんのいい声とテンポの良いしゃべり方のファンなので期待していたのですが、期待以上によかったです。
2018/7/14(土) 20時 zoo
投稿者:橋本(30代)
text by 招待企画ゲスト