生と死/別役実の女と男の総括 座・れら《The 別役!》『トイレはこちら』

印象としては、めんどくさい女だなぁと思った。
何にでも口を挟んだり、介入してこようとする人がいる。望むと望まないに関わらず、首をつっ込んでありきたりな事を言う人。

女は自殺する気で森にはいった。終わらせる願望。
男は森に新しく商売をしようとしてはいった。生きる願望。はじめようとする願望。
反する二人の遭遇。

男は生命力に溢れている。死のうとしている女を見ても慌てない。なぜなら死を完全に自分の外側においているからだ。
それは自分が吸わない煙草を持ち歩く部分であったり、新商売の発想が詐欺まがいであることからわかる。
前者は自身が死を内側に取りこまないこと。
後者は自分が生きるためには考えるより行動しようと(無鉄砲、考えるのを放棄している、死ぬことを考えない、覚悟がない)する部分。

女は死ぬことから始めようとしている。(今回の役者の解釈では重さや覚悟というより、ノリや気分的な部分の要素が多い人物像だと捉えていたのかなと思う。死ぬときは弾みが必要だという台詞。)
自分は葬送曲であったり、3階に住む住人に自殺装置を頼んだりという部分から、儀式や準備の好きな形式から入るのが大好き人間なのかなと解釈した。が、どちらにせよ、めんどくさい女であることに違いはない。

男が山の中でトイレの場所を教える旨を「ガイド」と称する商売としてやるという話を聞いたときに、最初から破綻しているのに、女が確信を突かず小出しに否定していくことが自分の中では全然理解できないし、ここが不条理ポイントか!と考えた。
あるいは散々別の劇で不条理を浴びせられたのに、やけにここだけ一つずつ丁寧に関連付けて紐解いていくものだから、別役作品を知る観客に対しての不条理か!とも思った。(今回6作品中4作品目に観劇したので、メタメタに不条理に打ちのめされていたゆえ。)

男が女の意見を拒否していたのは、意見を殺されるという部分を受け入れたくなかったからであり、やはり死の覚悟は全く無かったからだろう。
しかし女が、男が事業を失敗すれば家族を養えなくなるという可能性について言及するにつれ、男は女から死という圧力を少しずつ受け取っていった。
同様に、女は男に介入するにつれ、男から生きる事への自信を得ていたのだと思う。

生と死、はじまりとおわりがテーマの作品だと思った。

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今回、別役実氏の作品を6つ観劇させていただいた。
すべからく、不条理であった。

「別役実の女と男」のタイトルにふさわしく、今回のラインナップはどれも男女による考え方や振舞い方の違いが強く描かれていたように思った。それが大きな印象だ。
特に星の時間では即物的と抽象的な概念の対立が顕著だった。
思案したのが、もし男役と女役の性別逆転をしたキャスティングだったら成立するだろうかという事だった。もちろん役者のレベルによるだろうが、相当難しいだろうと思った。
それほど、性別による違いがあらわれていると思った。

個人的には言葉のはぐらかしによるスイッチングがとても苦手だった。
これは性分なので仕方がない。水掛け論を防ぐためにできるだけその場で言質を取るタイプなので、観劇していて、なんで!どうして質問しないんだ!の心の叫びが止まらなかった。
いかけしごむでは、初対面であるのに、私はあなたの事は何でも知っている。
子守歌では、世界にそそのかされていないと別人に反論する、あなたはいつもそうよ。
寝られますでは、公民館にいなかった子どもに対して、でもあなたにとってはいたのよ。
星の時間では、客が来ないから、あなたの為にこのレストランを開店した。
もやもやむずむずが続いた。喉元さえ過ぎれば演技を見入ることができた。台詞のとちり以外では集中力が切れなかったので、演出がうまく成立していたんだなと思った。

今回たった一度ずつ観た芝居のなかにこれだけ引っかかるポイントがあった。
たとえネガティブな気持ちだったとしても残るものがあった。

ありがとうございました。
 
 
2018/7/15(日) 14時 zoo

投稿者:橋本(30代)

text by 招待企画ゲスト

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