絶望の極点にある希望 劇団風蝕異人街『トロイアの女たち』

さながら盛大な女子宴を見るようだった。しかし、それは諸行無常を浮かべる血の海を前にしてくり広げられた。演出のこしばきこう はわかりやすいギリシア悲劇を標榜し一大絵巻を表出させた。

舞台は敗戦後の現代から始まる。現代のどこかは不明だ。雑踏の中、襤褸をまとった老女の嘆きが紀元前1000年以上のトロイアに飛ぶ。10年に及ぶ戦争で最後はスパルタ軍の奇略に壊滅したトロイア軍。残されたのは女たちと子どもばかりだ。
トロイア王妃 ヘカベに13人の女コロスが流れる水のようにまとわり付く。悲嘆の表情と薄ものを翻す群舞は統制がとれていて、地軸と共振する運足、座って大地を振り叩く両の腕は敵の戦利品になるしかない女たちの悲運を際立たせる。ヘカベの三木美智代は低音の発声が品位を失わない落剝の王妃にふさわしい。王である夫、息子たちを殺戮され娘たちは敵に拉致される。あまつさえ幼い孫の王子がトロイアの城壁の高みから投げ落とされる修羅場が現れる。孫の亡骸を前したヘカベとコロスたちの愁嘆は凄惨な美にまでなっていた。トルコ音楽が流れていた。トルコの地はアジアの果て、ヨーロッパの始まりだ。

舞台セットが立体的で神殿の白柱を思わせるポールが女たちの独白や動きと一体となる工夫がされていた。天上には神々がおわしドラムの生音は雷鳴だ。
スパルタ王や伝令使の男優陣は抑制が効いて女たちを引き立てていた。
絶世の美女、ヘレナは独り白い薄物をまとった九十九レイナが場違いな感じをよく出していた。スパルタ王妃であるヘレナがトロイア王子と駆け落ちしたのがトロイア戦争の発端となった。場違いは歴史を過つ。
 
ヘカベの娘たち、カッサンドラとアンドロマケはコロスも演じながらのハードな出番を太田由香と堀きよ美が頑張っていた。欲を言えばもう少し個を見せてほしかった。

さて観客はこの悲惨な女たちの戦争劇から何をくみ取るべきか。それは絶望の極点であっても失われない女たちの希望ではないだろうか。女たちは「在る」ことによって希望を生み出す。中島みゆきの名歌にもあるように今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すのである。それは時代を超えた人間の営為として、劇の冒頭シーンが物語っている。
 
 
2018年7月31日(火)19:30 コンカリーニョO

投稿者:有田英宗

text by 有田英宗(ゲスト投稿)

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