進化(深化)した『12人の怒れる男』だ。
2015年に上演された前回よりも、12人の陪審員、ひとりひとりの感情のヒダが深くなった。
感情の起伏が一面的でなく、何重にも折り重ねられた複雑な心の揺れ動きとして表現されている。なんだか別物の舞台を観ているようだ。
もちろん前回の公演もすばらしかった。1級品の法廷エンターテイメントとしてとても楽しんだ。今回はその部分もありつつ、より繊細に人間を描いているように見えた。
12人の陪審員が個別の動機で生き生きと動き、しゃべる。その効果として議論が全然まとまらない感がさらに増した。ひとすじなわではいかない、やっかいな面々がこれでもかと感情をぶつける。
そのことでいちばんの被害者は陪審員1番、つまり陪審員長だ。演じる能登英輔(yhs)は前回も同じ役で出演し、小市民的まとめ役として好演だった。
しかし今回は、さらにややこしいメンバーのもと進行は途切れに途切れる。せっかく進めようとして腰を折られたときの、「あっ」という感じがかわいそうでもあり、ややおかしくもある。
そんな1番がある瞬間、自分を出す。その変化、移り変わりは、1つのセリフでしかないかもしれないが劇的だ。彼もまた、怒れる男のひとりなんだ。そういうように微細な感情の積み重ねから生じる人間の変化があと11人ぶんある。そういうすごい舞台だ。
前回よりもややこしく、聞きわけがなく、自分の意見を主張し、感情をさらけ出したりじっと抑えたり、混沌として出口のない議論の積み重ねがしかしどうなるのか、ぜひ観てほしい。
今回の『12人~』は舞台と客席の構造が変わっている。中央の舞台を挟んで三方に客席がある。前回も三方を客席が囲んでいたが、今回、2つはなんと舞台上にある。
ややいいびつな舞台と客席構造で、観客は、演じる12人だけでなく、その向こうに彼らを見つめる客をも観る。すると途中から、陪審員たちのやりとりが法廷で、彼らを取り囲み、証拠や証言が本当に正しいのか考えている観客こそが陪審員のように思えてくる。
『12人の怒れる男』は多くの舞台や映画が作られてきた。それらを観るたびに、法廷で採用すると決まった証言や証拠を、陪審たちが勝手に不採用にしていいのかという疑問はあった(たとえばナイフの件なんか許されるのだろうか?)。
彼らはもう一度裁判をやり直しているようで、だからこそのスリリングさなのだけど、それって陪審員の仕事なんだろうかとも思っていた。
今回、舞台構造から生み出される、観客こそが陪審員なのだという構図をもって、この劇は完成したとも言える。父親を殺したとされる少年が有罪なのか無罪なのか。12人による2時間の議論を観た僕たちこそが問われているのかもしれない。
さらに本作はリピーター奨励の劇なので、前回も観た、あるいは今回、2回も3回も観るお客さん用に別の楽しみ方を……。少年は本当に父親を殺していた、と思って観ると、この劇は全然違う物語になる。
正しいのは11人、その中に、ひとり間違った男がいて、正義の陪審員をつぎつぎ懐柔していくというストーリーだ。信頼していた陪審員8番が悪魔的に見え、とたんに3番を応援したくなる。
知的な4番が俄然たのもしくなり、あんなにムカついた7番や10番までもが違って見える……というのはマニアックな見方。そういう楽しみも味わうほどに、ぜひ何回もリピートしてもらいたい。
最後に役者について。1番を演じた能登のよさについては前に書いた。
3番を演じた平塚直隆(オイスターズ)がいちばん、前回よりも複雑なキャラになったように思えた。怒鳴って前に出るだけでなく、引いた演技がきわだっていた。しぼり出すようにしゃべるときの深い感情を引きずり出す演技はすごい。
4番を演じた河野真也(オクラホマ)は前回に引きつづき好演。知的な有罪派で感情に左右されることなく、この裁判の真実を見極めようとする。そんな彼も感情を爆発させるところがあり、それがなんなのかも観てほしい。彼がつねに、正しさとはなにかを問うているのがわかる。
7番の櫻井保一(yhs)は乗ってる役者のすごさだろう、場を支配する。声がいい。この役者が演じる人間の、軽薄さや観客をいらだたせる行動が、いったいなにに起因しているのか、それが見えない感じがとてもいい。7番が裁判に関心がないのは、野球観戦の予定があるからだ。櫻井版の7番はたしかにそうは言うものの、言動が、本当にその理由ゆえなのかがわからない。彼が無罪派や移民に向ける態度の悪さは7番個人の奥底にある「なにか」のように思える。そしてその理由がわからないところに、この役者の演技の面白いところがある(演劇シーズン2017夏にyhs『忘れたいのに思い出せない』で演じた役もそうだった)。
久保隆徳(富良野GROUP)が演じる8番はともすれば聖人君子的な、汚れのないいい人になりがちだ(映画版のピーター・フォンダのような)。しかし今回の8番は感情の起伏がほかの陪審と同じくらいあり、豊かに感情をさらけ出す。8番の感情がほかの陪審員と同じレベルにならされた結果、彼が唯一、ほかの人と違う点がきわだつ。それは、話しあおうする点だ。
移民の11番、水津聡(富良野GROUP)の、ほかの11人とは違う感はどうやって出しているのだろう。劇中、ひとりだけ空気を変えることに成功している。
12番を演じた明逸人もよかった(2番を演じた江田由紀浩とのダブルキャスト)。12番はつねにずっと、場をつかめていない。どのバージョンでも12番が個人的に好きなのだけど、彼のふわふわして本当に議論に参加できてるのかもあやしいところがいい。陪審員として別の裁判に参加しても、今回の経験を生かさずにきっと同じようなことしてるんだろうなあ、という感じがいい。
それにしても話しあうことは意義深い。思い知らされる。どんなに考えが違っても、たとえ最終的に意見が一致しなかったとしても、「話しあう」そのことに価値があり、過程に意味があるということを、この劇ほど説得力をもって語る作品はない。そう思う。
公演場所:かでる2・7
公演期間:2018年8月11日~8月18日
初出:札幌演劇シーズン2018夏「ゲキカン!」
text by 島崎町