100年経ってもクールな女 栗山民也X篠原涼子ほか『アンナ・クリスティ』

1921年の作品とは思えないほど、現実感があるのは作者ユージン・オニール様のなせる業。彼の「喪服の似合うエレクトラ」は、昔々の卒論テーマである。なつかしい。

篠原涼子演じるアンナが、年老いた船乗りの父親クリス(たかお鷹)に15年ぶりに会いに来る。妻とも別れ、自ら、船乗りではいい家庭を築けないと思ったクリスは、幼いアンナを農園の親戚に預けて、豊かな自然の中で明るく幸せに暮らしていると勝手に思っていたのだが。アンナは、こき使われたあげく、農園の息子に乱暴されて、そこを飛び出し、結局は娼婦になっていた。疲れ果てて、クリスを頼ってきたのだった。クリスは船で同棲していた港の女を追い出し、アンナを迎える。

まずここで、物分りのよい港の女と「ちゃんとした」女、という男による2種類の女の区別、といった普遍的な男の身勝手さが浮き彫りになる。そして、父親が娘に抱く幻想とも願望ともいえる、「明るい少女→淑女→まともな男と結婚→良妻賢母+親孝行」という理想のライフパターンが押し付けられる。自分は、15年間何もしてやっていないのに、だ。

重要なのは、クリスは決して悪い奴じゃない。むしろ、誰もが似ている普通の人間。

そして佐藤隆太演じる船乗りマットが難破して登場。アンナと恋に落ちる。ここでも、マットは、「港の娼婦しか知らないから、君のようなちゃんとした女にどう接したらいいか・・・」なんつことで、またアンナは男の理想パターンを押し付けられる。「仕事は何を?」「・・・家庭教師。」「わあ、すごいな」・・みたいなことになり。適当にウソついていたアンナだが。

貧しさと男という罠にかかってもがく獣のような生活をしてきた女。やっと本当に好きな男にめぐり合った。だけど、だから、自分は偽れない。それがアンナ・クリスティ。話しちゃうんですよ。売春婦の過去を。クリスは失望と罪悪感、マットはもちろん失望、だまされた云々の恨みつらみ、酒、ケンカ。しかし、ここから、アンナの女の叫びが炸裂。股間を突き出して「あんただって同じことやってんじゃないのよ!」と放つ篠原涼子がめちゃクール。他にも、クリスに「私に命令しないで!私はあんたの所有物じゃない!」と言い放つ場面もあり。こういうセリフは、少し前のブリットニ-・スピアーズの歌みたいだが、書かれたのは1921年。97年前だ。悲しくも100年を経てもなおアンナの叫びは革新だ。特にOECD加盟国以外では。名作かくありき。

愛し合う二人はこの難関を乗り越え・・・るが、アンナの過去を知ってすぐ男二人は、船に乗って遠くへ行っちゃう作戦に申し込んでいたので、あとは海まかせ、船乗りのサガ、という不穏な雰囲気で終わる。アンナに幸せな暮らしは訪れるのか。

チラシには、「海のちからが、ひとの運命をかえる」というコピーが書かれているが、そうじゃないだろう。本作品の海は、人生、社会の象徴であり、人の運命は、人が時に抗い、時に受け入れて、自身が変えていくのではないか。アンナ・クリスティのように。

この劇、札幌で誰かやらないかな。

2018年7月29日13:00 よみうり大手町ホールにて観劇。

text by やすみん

SNSでもご購読できます。