公演が終了したので、普通に公開します。
※2016年の初演映像を観た感想です。
少し前に「マサコ部屋」で紹介したおぐりまさこのコメントを読むと、なんだか楽しそうな作品だなと感じる人が多いだろう。しかし、私は違った。後から背筋がぞっとする作品だった。もちろん、「こんな人(特にパートのオバサン)、身近にいるよ」という笑いを誘うような描写もあるが、本作のベースとして描かれているのは「死」なのではないかと考えた。
一組の夫婦とその一人娘が物語の中心。父はずっと「あの茶色いの、どこかな」と探し続け、母はパートと家事と毎日忙しい。娘はそんな母の姿を見て、「私はお母さんのような生き方はしない」と宣言。しかし、大人になった娘は仕事がうまくいかず、ひょんなことから親しくなった男と結婚。男児を出産した後はパートで明け暮れ、ふと「これってお母さんと同じなんじゃ…」と実感する。大まかな内容はこんな感じ。
後半の「娘中心」の時間経過が倍速再生のように描かれる。大半の場面で選択肢を与えられず、まさにジェットコースターに乗せられたように人生のポイントを駆け抜ける。その様に笑う人もいるだろう。でも、もしかしたら今を生きる私たちも、スピードの差はあれど、自分で進む道を選んで決定している気になっているだけで、実際は敷かれたレールの上を歩いているだけなのでは? そして、一歩ずつ歩く度、一呼吸をする度、人間は確実に死に近づいていく-。演出で脚本をも手がけた関戸哲也は「人生って食って寝て、たまにセックスするだけ」と役者に言わせるが、その軽さの裏にどうしても死を意識してしまう。「底なし沼」のようでもある。
前半で張った伏線がきれいに回収されるのも心地よい。一方で、役者に目を向けると、母と娘のパート仲間(もちろん、時代は違う)のオバサン2人が絶妙にいい。ボス猿のようなオバサンにくっついて自分の意見よりも相手を持ち上げることに力を尽くすとか、損得感丸出しで言うことがコロコロ変わるとか、体裁を取り繕うために相手を落とすとか。ものすごく軽く描かれる分だけ2人の笑顔が怖い(普通に笑える場面ではあるのだけど…)。また、本作はいい意味でさらっと観ることができるが、見方を変えると、人間の滑稽さがあふれ出ている作品なのである。
「札幌版」をやるなら役者は誰がいいんだろう、と勝手に妄想したところ、母=大橋千絵、娘=小林泉、夫=氏次啓、娘の夫=能登英輔(夫と替えても可)、オバサン2人=ナガムツ・高野吟子、娘の子=能登屋ヒヒ丸。-ほぼ『マグノリアの花たち』の役者なんだけど。面白そうだなぁ。
ちなみに、イレブンナインの明逸人×澤田未来で上演する2人芝居『雨の日はジョンレノンと』もなかなかいい。私は「おぐり×関戸バージョン」を映像で観た。ジョン・レノンがどうだとかよりも、女が怒る度に「あの時は、この時は」と過去のことも怒りに変える姿にちょっと共感。
…札幌公演、観たかったなぁ。
◆2作品とも映像で
text by マサコさん