人生は不条理だ! 座・れら『The 別役!special』Aプログラム

 
 
※この感想はネタバレだらけです。ご注意ください。
 
 
Aプログラム『招待されなかった客』『トイレはこちら』を観劇。
別役実の脚本は面白いなぁ! と思った。特に『招待されなかった客』。

不可解なセリフ、ちぐはぐな会話から見える物語は、おおよそ次のような内容だ。
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魔女の家に、謎の招待状を持った神父がやってくる。魔女の家にはワイルダー『わが町』の舞台となるグローヴァーズ・コーナーズの模型がある。神父と魔女は噛み合わない会話を続ける。
やがて、二人は『わが町』の記憶を共有していること、招待状は『わが町』の登場人物であるエミリーが、かつてあった結婚式の日に神父を招いたものだとわかる。しかしその日、神父は協会によって禁じられた魔女裁判(魔女狩り)に出ていたのだ。神父はそのために教会から破門され、さすらいの日々を送るようになっていた。一方、魔女は出産で死んだエミリーを哀れんで時を戻す魔法を使ったために、ヴァルプルギスの魔女の集いに招待されなくなっていた(追放されていた)。魔女たちも既に魔法の使用を禁じられていたのだ。
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神父は、魔女狩りの専門家として教育され、「魔女ではない人々も」火あぶりにしてきた。だが教会の方針が変わって魔女裁判は御法度となった。にも関わらず、神父は魔女裁判に加担したのだ。
「だって魔女は殺すべきなんだよ!」(うろ覚えだがこういう趣旨のセリフがあった)

…これを聞いたときに、国のために殺すスペシャリストとして教育されて戦場で手柄を立ててきたのに「戦争が終わったからもう殺しちゃだめ」と言われた兵士を連想した。
あるいは、社命で身を削ってプロジェクトを推進してきたのに、方針が変わったので不要、部署ごと取り潰し、と言われた会社員とか。
つまり、国家や企業による不条理だ。

一方、よかれと思って使った魔法をエミリーに拒絶され、魔女なのに魔法を使ったことで追放されるというのも、個人にとっては不条理だ。

「(破門されたのだから)もうあなたは神父ではない」と魔女に言われ、神父は「それでも私は神父だ。神父じゃないなら何なのだ?」と言う。「私が私の神父であることを、許可してほしいのです」と。

魔女は言う。
「みんなが私のことを魔女ではないと言っても、私が私を魔女と思うことを認めてほしい」と。
(私が私だけのための魔女であることを、だったかもしれない)

ああそうだ、世の中は不条理に満ち満ちている。でも、自分が何者かを決めるのは自分自身だ。どんなに強い風が吹こうと、自分の中の核だけをしっかりと握っていればいいよ。
と、私はこのあたりの展開でちょっと泣きそうになった。

その後、実は教会とヴァルプルギスは結託していて、魔女に魔法を使わせないために教会が魔女狩りを中止したのでは? いやその逆では? という話も登場する。末端で生きる人間は翻弄されるばかり、真相を知ることはできない。ああ不条理。

他にも、「実は私がエミリーだ」というセリフも出てくる。

『わが町』は脚色されたものしか観たことのない私には、ここに隠れている寓意がわからなかった。何の変哲もない町のどこにでもいる人間、という意味だろうか? ああ、『わが町』をしっかり理解している人が観たら、もっともっとこの作品の面白さがわかるに違いない。

ラスト、時が止まっていた魔女の部屋で、メリーゴーランドがまわり音楽が流れる。「繰り返される退屈な日常の素晴らしさ」こそが『わが町』のテーマだったはずで、ここにも寓意はありそう。

そして『わが町』であるメリーゴーランドを残して、神父が去り、魔女も去る。

招待されなかった客は誰か?

神父であり、魔女であり、「私たち」だ。
私たちは招待されていない世界で生きていかねばらないさだめなのだ。ああ不条理。
そのような世界でも、私たちは自分自身の主人として、頭を上げて生きていくことができる。でも、それはもしかしたら、「繰り返される平凡で幸せな日常」を離れてさすらうことでしか叶えられないのかもしれない…。

という、大変面白い内容の作品だと思った。

だが芝居は、特に謎ばかりを提示していく前半、テンポが遅くて集中を保つのが難しかった。もっとスピーディかつ大げさに滑稽に、メリハリを利かせて展開してもいいんじゃないかなぁ、ちぐはぐなやりとりの笑いで諸々を煙に巻いて、不条理も見えないぐらいにしてしまうのが脚本家の狙いなのでは…と、脚本を読んだわけでもないのに思った次第。
けれど、余計なものを付け加えない、適当な笑いでごまかさない演出には好感を持った。誠実に作られ演じられているからこそ、神父と魔女の中に「私たち」を発見できたように思う。
 
 
最後に『トイレはこちら』についても簡単に。

他人の行動の辻褄の合わなさは指摘できるのに、自分の行動のおかしさには気が付かない女。しかもお節介。かつ、悟りきったようなことを言っていながら行動はともなわない「やるやる詐欺」。いるよね、こういう人。

誰が聞いても「無理に決まってる!」と思うような馬鹿げた商売を思いつき、その正しさをとくとくと語る男。いるいる、こういう妄想系コンサルタント(真っ当なコンサルの方、すみません)。

紅茶が登場した時点で「オチは読めた」と思っていたけれど、まさかの商売成立に「いやぁそうだよね、馬鹿げた商売に乗っかる客が出てくるのが世の中ってもんだよねぇ!」と膝を打つ思いだった。

しかしラストの、これもうろ覚えだが「私は正しいのに世の中が正しく動いていない」という趣旨の女のセリフ。これ、呆れながら、あるいは笑いながら、のほうがしっくりくるように思った。怒るにしても、演じられてきた女のキャラクターならもうちょっと軽い怒りなのではないかな。
 
 
2018年11月10日14時 サンピアザ劇場にて観劇

text by 瞑想子

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