ストレートに名作 RED KING CRAB『ガラスの動物園』

札幌でテネシー・ウィリアムズを上演してくれるとは嬉しい。真摯に作品に取り組んだと窺える気持ち良いプロダクションだった。

アメリカ南部の封建的な社会が舞台ではあるが、全く日本の現代社会と変わらない普遍性が見事な作品。この社会が生きづらい者たち、見えない将来に押しつぶされそうな者たち、家族という面倒な関係が息苦しい者たち、「人並み」に合わせられない者たち、コンプレックスにとらわれる者たち。思い通りにならない人生。そんな悩み苦しみは、テネシーが代弁してくれる。

俳優陣はいずれも好演。特に中塚有里氏は、ローラの抑圧された引っ込み思案なところと、内面の乙女チックな思いを、さらりと過不足なく表現。現実感があった。原子千穂子氏の母親アマンダ役は、可愛らしく過去のモテぶりを彷彿とさせる南部女性だったが、もうちょっとイラッとくるくらい子供にプレッシャーをかける女でも面白いなと。トム役の木山正大氏は、家族の中の閉塞感にうんざりする弟という役柄はよく表現できていたと思う。ローレンスを読む、詩人になりたい青年という繊細な側面がもっと出せれば深みが増したと思う。

トムの同僚、ジムがローラにかける「君は美しい」という言葉は、現代のダイバーシティ推進の言葉のように優しい。トムの手によりガラスの動物園のユニコーンの角が取れてしまい、謝るトムにローラが「手術をしたのよ、これで皆と同じ普通の馬になれてよかった」と、これは実は祝福なのだとポジティブシンキングする場面は、唯一希望の持てるセリフ。直後にはトムに婚約者がいると告げられて、ローラの恋は実らないのだが。それでも、ユニコーンから馬へ、夢から現実へ、と押し出される彼女が、変わり者から人並みへ、ユニコーンの角が取れるようにコンプレックスから解放されて、一歩踏み出すことを期待したい。このジムの去り方については、演出が様々で、オリジナル本通り、快活にじゃあなと去っていくパターンと、ローラに未練を残していくパターンがあるようだが、私はやはりオリジナルがいい。本作ではやや中間的な感じもあったが、オリジナル版だったようだ。ここはやっぱり残酷に明るく去ってほしい。それが優しさだろう。

・・・という終盤まで退屈しない好演と演出で感動した。名作に取り組んでくれた竹原圭一氏に感謝したい。

2018年11月17日13:00 シアターZOOにて観劇。

text by やすみん

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