BLOCHらしい、若いエネルギーを感じる作品。俳優陣があて書きなのか、全員ぴったりハマってました。主人公オサム役の倖田直機氏は、以前観た「寿歌」での好演から、個性的ないい役者だなと思って注目しておりました。ただ、おばちゃんが思うに、この人はどちらかというとテレビ向きのような気がする。舞台役者として、目の前の観客と対峙する、顔を晒して訴える、という演技を通じたダイレクト・コミュニケーションにはシャイなんかなという感じがするんやわ。一生懸命、リアルに演じてる感じね。舞台ではもうちょっと大ぶりでもええんちがうかしら。モニターに顔面アップされたほうが巧さが出るかもね。演劇への真剣さを感じるし、独特の持ち味があるし、期待してます。以上、おばちゃんからの応援でした。
登場しただけで笑ってしまったのが、櫻井役の和泉諒氏。この人、おばちゃんは初めて観たと思うんやけど、ええ味です。あの不気味な笑顔は実にええ。寺地ユイ氏とのカップルは、吉本新喜劇を観てるみたいでした。
コントと青春劇のミックス本というのは、観客が笑ってくれるし、安心でハズレない分、主題は古くさくなりがち。高校生音楽バンド仲間たち、やがて就職して社会に出て、一人売れないミュージシャンを続けるヤツ、夢を追うアイツにあの頃の俺たちを重ねる、アイツにだけは続けてほしいんだ、みたいな内容が昔はよくありました。今は、本作のように漫才ですね。
主人公が「記憶を売る」、という、スーパーナチュラルな発想も出てきます。状況は全く違いますが、こういう取引は、死神との話し合いで寿命と引き換えに愛するものをこの世から消していく、という川村元気氏作品や、人類から「想像力」を買う、という北村想氏の作品、川尻啓太氏の「ランドリールームNo5」というのも、「自分の存在の記憶」と引き換えに愛する人たちの命を救う話でした。愛するものがない世界に生きてなんの意味がある?とか、想像力なくして何が人間か、とか、愛する人たちが生きるなら喜んで犠牲になる、とか、そこには人類愛がありました。
今回は、生活費を稼ぐために、ヤクザに命乞いするために、漫才のネタを含めた記憶を売るわけで、理由は実に殺伐としています。得たお金の使い道が自己中心で、現代の〇〇ファーストを思わせますな。刹那的、絶望的な夢追いを描いているわけですね。
犯罪者という設定とそれを笑いにするというのは、高度なスキルを要します。ポン引きみたいな犯罪ならまだしも、オレオレ詐欺の出し子やら盗撮セックスビデオ売買とかは、笑い飛ばし難い。被害にあって苦しむお年寄りや女性のことは浮かばないのか、と被害者、警察関係ならずとも、おばちゃんも疑問です。犯罪を笑いに出すなら、改心して被害者に謝罪を受け入れられるシーンか、罰を受ける結末がないとスッキリ収まらない。仲間うちの友人に盗撮してゴメン、というシーンはあるものの、所詮は仲間うちの男。相手の女性はどうなんのさ。漫才でテレビに出るという日に被害者に刺されて絶命とか、警察に逮捕とかで夢を終えたらよかったんちがいますかしら。
ダラダラしたチンピラ犯罪者たちが、過去のちょっとした栄光に引きずられて、まともな社会人になれずにいる風景。刹那的、絶望的すぎて同情の余地はない、という人々を、笑いに包んで表現。こりゃ、絶望したくなきゃ笑うしかないね。
2018年11月17日13:00 BLOCHにて観劇。
text by やすみん