始まった瞬間、「合わないな」と思った。マンガでいえば「絵が好みではない」という感じ(メガネ女子の中村幸さんには萌えた)。演出がボクには合わなかったのだろう。宣伝動画やインタビュー記事をみていただくと分かると思うが、歌や音楽を聴いているように台詞が流れてくる(メトロノームを使って練習するらしい)。それが心地良いのだが、内容が頭に入ってこなくて眠気を誘う。ときおり太鼓の音で目が覚め、蛇口から水がしたたり落ちる音に心が波立つ(意味深)。なので終演後の脳内には断片的な情報ばかり。どうしたものかと考えていると、台本を販売しているとのことで躊躇なく購入。「素敵なカバンですね。」と言葉をそえながら対応してくれたのは大迫紗佑里さんだったと思う。その時は照れて顔を上げることができなかったが、褒めてくれてありがとう。嬉しかった。
台本の購入は大正解で、とても面白い。文体で読ませるタイプだ。何か大きな事件が起こるわけでもなく、生きていれば誰にでも起こりうることばかり。(奥さんの失踪は事件だけど簡単な説明のみ)お見合い、昔気にかけていた人のこと、祖父や父の死・・・。それらを味わいのある文章で綴っていくのだが、その描写がありふれた日常の「一コマ」なのか、それとも「伏線」なのか分からないところが多々ある。登場人物にしても妄想なのか、幽霊なのか分からなかったりする。疑問が解消するかどうかは別として、この演劇を素直に面白いと思った人も、台本を読むことによって違った面白さを味わえるはず。本気でお勧めする!(台本を頭に入れて再観したい。)
劇団こふく劇場さんの地元は宮崎県。神話の国というイメージであるが、今回ボクが連想したのは小泉八雲の『神国日本』である。死者(祖先)の幸福と生者(子孫)の幸福は互いを思いあう関係にかかっているという世界観だ。それは亡くなった祖父母と孫、親と子の関係に表れていたと思う。「今日からはもう祖父ちゃん、祖先の霊になるんや。」というセリフが印象的。そして、失踪した妻は死んでしまったかもしれないと思いながら、からだを焼いてあげなければ人は死ぬことができないと考える夫。「死ねない人が世界にあふれている」という表現も死者と生者の関係があってこそだ。そして命をつないでいくことを重要視する世界観からか、登場する既婚の女性には子供がいる、もしくは身籠っている。とすると、劇団の代表である永山智行氏が「ノーコメント」とした、ある人物が実在するか否か?という問いに対する答えは自ずと出てくる・・・のかな?仮にそれが正解だとすると相手はひょっとしてあの人物?と、どんどん悲劇になっていくのだが的外れだったら非常に恥ずかしいのでこの辺でやめておこう。(でも歩き方が変わったのが生まれ変わりを意味するとしたら幸せなことだ。)
パンフレットに書いてあった参考文献には「ビルマの竪琴」があった。ボクも好感をもっている作者の竹山道雄氏は、東京裁判を批判し安保体制を支持した方である。永山氏の平和への願いが天に届くことを願う。
2018年12/2(日)14:00
扇谷記念スタジオ・シアターZOO
投稿者:S・T(40代)
text by 招待企画ゲスト