強く伝えたい思いの伝達装置 Sapporo Dance Collective 第1作品 『HOME』

これまで20年、コンカリーニョでは様々なダンス企画を手掛けてきたそう。年数を重ねながらも、多種多様なダンス公演が増えていかない、なかなかダンス・カンパニーが生まれない……そんなもどかしさなどから、新しい形のダンス作品の創造の場の提案として始動したという、Sapporo Dance Collective。第1作品『HOME』は羊屋白玉さんをコンセプト・構成演出に招いてスタートした。

今まで観たどのダンス作品とも演劇とも違う。ダンスするひとの身体とそこからにじみ出る表現がうねるように物語を紡ぐ。ダンサーそれぞれが持ち寄った表現は、どこかにわたしの記憶も映しているようだった。それが、痛いぐらいに心をえぐる瞬間がある。まだ剥がしてはいけないカサブタをつい触ってしまうような。言葉がなくてもそういう体感がくるのが不思議。

普段の生活では、以心伝心は勘違い、ちゃんと言葉にして伝えなければ、自分の気持ちは伝わらないと思っている。でも、言葉として形づくることができない気持ちを身体で表現するのがこのようなダンスなのだろうか。

踊るって何なのだろう。
踊ると演じるの違いって何なのだろう。
踊ると言葉の違いって何なのだろうか。

先日、ある居酒屋でろうあの人たちの宴会といきあった。文字通り無音の会話。でも、他のどのテーブルよりもにぎやかに感じた。伝えよう、伝えよう、伝えようという思いが、はじけるように空気を動かし、音がないのに、早口の会話や大笑いが漏れ聞こえる。

どうしても伝えたいという思いがあれば。
それをそのひとそれぞれに与えられた方法、あるいは得意とする方法、もしかしたらそれしかできない方法で懸命にどうにか伝えようとするのだろう。
それがダンスであったり、演じるということであったり、手話であったり、文章であったり。

『HOME』はそういう意味では、『HOME』という形の伝達方法だったのかもしれない。だから、ダンスとも演劇とも違うものにみえたのだろうと思う。

今回、オーディションにより集まったダンサーの1人1人のバックボーンは実にバラバラ。羊屋さんの綿密なインタビュー、取材により集められた素材をちりばめ、くみ上げられた下地を基にして、それぞれのダンサーがつくり手としてのキャパシティを求められる現場であったことが、アフタートークから汲んでとれた。
ここからの道筋はまだ決まらない、まだ迷っているということだったが、まずは一歩目は踏み出した。その一歩を踏み出すエネルギーこそが大きく貴重なものだったのであろうと思う。二歩目、三歩目へとぜひ繋げていってほしい。
 
 
2018年12月16日 16:00  コンカリーニョにて

text by わたなべひろみ(ひよひよ)

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