「ぼーっと生きてんじゃねぇよ」というセリフが某テレビ番組で話題になった。ぼーっと生きた指示待ち族に罰を与えるならこんな感じの地獄か。ぼーっと生きている私は引き込まれないではいられない。悪事を働いたわけじゃない、他人には無関心、強い者に従い、自分のことだけで精一杯。社会の改革や他人の人権?考えたことない。訳のわからない戦争に巻き込まれたりもするけど、なんで殴られるのかわからないし考えません。変に波風立てるより黙って見てた方がいいんじゃない?誰かが何か指示してくれるまで・・・。そんな奴に救世主なんか来ないのさ。チャンスは与えられているのに。実に恐ろしい警告だ。にしても不条理に虐げられる善良な我らに救いはないのか。
この時間なのか、この場所なのか、本当にそう言ったのか、誰が? 時間も空間も記憶もあてにならないとしたら。信じてきたものは何だったのか。何を信じて生きるのか。ゴドー? この疑問は、やがて、救世主は、神は、存在するのか、という哲学に至る。神と人間の乖離、迷える人間。
ご存知のように、ベケットは本作品について「皆さんが知っている以上のことを私も知らない」とか何とか言って、解釈を無限大にした。どうもニンマリ悦に入っている気がしてならないが、おかげで好きなように「考える」ことができて何よりだ。結局「考える」ことをさせたいんじゃないのかな。思うツボ。「考えろ!」と命じられたラッキーが、ベラベラと複雑無意味なことを話し始めるのは、痛烈な皮肉だ。究極の指示待ち。指示されて考えても、意味ないのだ。仕事でしょっちゅうやってるけど。
さて、市民交流プラザという札幌が誇るべき施設ができ、オペラ、バレエ、ときて演劇。クリエイティブスタジオのオープニング!広々としたスペースの中央に作られた長い道。素晴らしい。観る者も道の脇で一緒にゴドーを待っているようだ。
札幌の二代俳優、斎藤歩氏と納谷真大氏の熱演。チャーミングなGogoとDidiだった。飛び散る汗。歩さんと納谷さんだ~というニンマリしたくなる興奮で、つい俳優観察に陥り、中味が以前に見たプロダクションの感想と混ざってしまったが、これは致し方なくお許しいただきたい。
記憶に残るプロダクションは、イギリス版、ピーター・ホール演出、アラン・ハワード、ベン・キングスレーという英語版では王道ゴドーだった。アラン・ハワードのウラディーミルが、ゴドーの使いの少年に、「Don’t tell me you don’t know me!」と叫ぶセリフが今でもその声、表情、天使のような少年とともに心に残っている。キリスト教徒なら体に染み込んでいるであろう、最後の審判の日に、神に「私はあなたを知らない」と言われる恐怖と不安。キリスト教徒ならずとも、誰にも覚えられていないという孤独への恐怖。そんな凄まじい不安感を共有した。また、使いの少年に会うのはウラディーミルだけで、いつもその時エストラゴンは眠っていることに、福音書の「目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなた方にはわからないからである」という言葉を思い出していた。誠に聖者の道は険しい。などと他人事で済ます、指示待ち凡人の私がいる。
さて、主役二人もさることながら、ゲストの福士惠二氏、高田惠篤氏がありがたく素晴らしい。
このラッキーとポッツォがグイグイとベケットの世界に引き込んでくれる。福士氏のラッキー役への真摯で忠実な取り組み、そして高田氏のポッツォの見事な話術。それはもう小気味好いくらい。高田氏は、サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」に出演されていたとプロフィールを読み、ああ、あの村上春樹の世界!と懐かしく思い出した。ありがとう、ありがとう。
この上演が、札幌演劇の大きな起爆剤となることを願って。
2018年12月21日19:00 札幌文化芸術劇場クリエイティブスタジオにて観劇
text by やすみん