大晦日に高校演劇を考える 『第68回全道高等学校演劇発表大会』を振り返って

いろんな方面から「遅いって」という声が聞こえてきそうだが、さぼっていたわけではないです。あしからずご了承ください。

さて、今年の全道大会は一観客として17校中14校の作品を観劇した。あくまでも個人的な感想だが、良作がそろったが飛び抜けた作品がない、という印象が残った。大会終了後、数人の先生から今大会の感想というかそれぞれの思いを聞かせてもらう・寄せてもらう機会があったのだけど、それもひっくるめて(本当に個人的に)「帯広北が最優秀か…」という思いがある(注 帯広北がダメだったという意味ではないです)。最優秀に選ばれた理由や、その他の学校を上回った点が明かされないのが、影響しているのだと思う。特段、合評で選出した理由を話す人は少ないし、選出理由を話さなければいけないという決まりもない。まあ、それについてあーだこーだ言える立場ではないけれど、「決定打」を感じられない大会にあっては、尚更、その「理由」を知りたくなるものだ。

嬉しいことに、全道と支部の審査員をやらせてもらっているが、高校演劇の審査はちょっと特殊な感じがする。これまで経験した他の分野の審査では、持ち点制で上(最優秀とか優勝)から決めていくものが多かった。一方、(道内の)高校演劇の審査は最優秀から決めるのではなく、下位の賞から決めていく。そこで面白いのが、いろんな趣味嗜好の審査員がいても2回目の投票(全道大会で言えば優良賞)くらいまでは、意見がだいたい一致すること。議論になるのはその後からで(今年の全道大会では審査終了が午前1時をまわったとかとか)、ある程度のレベルのものを残したら、後は「自分の推し学校をどこまで推せるか」のやり取りになる。当たり前だけど、演劇って観る人によって感じ方も考え方も違うし、何が心にひっかかるのかも違う。だから尚更、選ばれた「理由」を知りたくなる。今回、私は一観客だったけれど、自信を持って全道に挑んだ学校のみなさんも同じ気持ちだったんじゃないかな、と思う。

ちなみに、来月、大分で行われる「日本劇作家大会」で、高校演劇の審査方法が再検討されるらしいです。

各校の感想は、睡魔と戦いながらツイートしたので割愛させてもらいます。

少し残念だなぁと思ったのは、上演の翌日に配布される「生徒講評文」だ。

書いているのは各支部から選ばれた「生徒講評委員」。その存在は上演校と比較すると注目度が低いが、全員が上演後すぐに作品について討論し(1000本ノックを受けるような過酷さ、だと勝手に思っている)、それをその夜のうちにまとめて翌日に配布する…という〝試練〟が課されている(前に見学させてもらった時と変わっていなければ、生徒たちの意見を付き添いの先生達がパソコンで打ち、それを基に生徒たちがまとめる、という方式。違っていたらご指摘ください)。過酷だとか試練とか書きながら、何が残念だよ!と思う人もいるだろうが、「生徒講評文」とするならば、やはり「講評文」であってほしいもの。17校のうち、2校分が文章形式で、15校分がいわゆる箇条書きだった。1校について2~3人が担当しているから、それぞれ書いたものをくっつけているだけかもしれないが、旭川西と函館大妻の講評文は高校生として作品と向き合った思いが出ていたし、私が気付けなかった発見もあった(で、後日、旭川大会の生徒講評文はどんなものだったかなと引っ張り出したところ、しっかり講評文だった)。来年は、「講評文」が読めたら嬉しいなと勝手に期待しています。

支部、全道を問わず高校演劇を観続けていて、出演者の成長を見て取れるのが嬉しい。大会や上演は「点」でしかないけれど、観続けることで「高校演劇の線」になっていくことを、多くの人に知ってもらいたいなぁと思いつつ、もう早、来年の大会を楽しみにしています。

追伸:支部と全道を通じた「自分の推し学校」は札幌東陵。上演時間オーバーや未完成の部分があったけれど、作品の向こうに見える〝景色〟の豊かさは最強だった

text by マサコさん

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