これぞ舞台だ 劇団千年王國『贋作者』

千年王國を観ないやつはバカだ。

と昔ゲキカンに書こうとしたけど、たぶん怒られると思ってそのときはやめた。だけどいまあえて言う、千年王國を観ないやつはバカだ。

『贋作者』タイトルがすでにテーマだ。なにが本物でなにが偽(にせ)なのか。そもそも本物とはなんなのか、それに偽とは……。

江戸が終わり明治の時代。新しいものが表の顔をし、かつて表だったものが裏になる。社会、地位、文化、人間。狩野派の家に生まれた河鍋鴈次郎(リンノスケ[きっとろんどん])は家を出て、女郎屋にこもって贋作を作る。

いわば裏の世界の絵師。そこへ兄の清一郎(寺田剛史[飛ぶ劇場])が現れる。衰退していく一家を守ろうとする清一郎は、裏になることを拒絶し、必死に表であろうとしている。

大きくうねる歴史という海の中で必死にもがくふたりの兄弟。絵とはなにか、創作とはなにか、本物とは偽物とは……。

かたや裏、かたや表だった存在が、バチバチと火花を散らしながらぶつかりあうことで、ときに立場を越え、いつしか逆転し、ついには融合していく。その圧倒的な熱量と静寂。相反するふたつが同時に存在する、神秘的とも言えるラスト。

これだけのクオリティ、これだけの熱量、これだけのケレン味と迫力をぶつけてくる劇団が、札幌にあり、いま観られる。

熱量、ケレン、なんて言葉を使うと、単ににぎやかだとか音が大きいとか、そういう風に思われるかもしれないが全然違う。場面ごとに動と静が切り替わり、さらに場面の中にも動と静がある。それらがグルグルと渦を巻き、舞台上にグルーヴ感を作りだし、客席をも飲みこんでいく。

ダイナミックでテンポのいい場面のあとに訪れる、澄んだ水のような静寂。揺らぎひとつない硬質な鏡のようなシーンに、ひとつ、波紋が投げかけられ、広がっていく。

それがつぎのシーン、つぎの動き、つぎのセリフとなって、いつしか大きな叫び、肉体の鼓動となって動の場面が生み出されていく。見事な構成、。

それを支えているのが、本作でひときわ冷たい光りを発する兄・清一郎を演じた寺田剛史だ。

表の顔を取りつくろおうと何重にも塗り固めたその奥に、揺れる内面を悲しく表現する。それでいてときにコメディリリーフにもなる柔軟さ。言葉の伝え方も実に見事で、脚本のよさをひとつも失わず、むしろ輝かせていた。セリフが聞き取りにくい役者もいたが、彼の技術やセリフに対する姿勢は学ぶところが多いだろう。

女郎・吉野を演じた坂本祐以も好演。まだスレた感じはないものの、逆に生命力を感じさせる。ネコのようにひょうひょうと、舞台を楽しく生きている。鴈次郎やその一味を受け止めるエネルギーもあった。

熊木志保(札幌座)は日本初の女性記者を目指す安藤信枝。愚直な一本気さは、いっけん若さゆえに見えるが、内に秘めた執念をも感じさせる。

井上ミツコを演じた飛世早哉香(in the Box)は謎めいた美人ブローカー。あぶなっかしい時代の橋を、スルスルと渡っていくが、ここもやはり一筋縄ではないことが魅力。

兄弟の母・河鍋清を演じた東華子は熱した舞台を一瞬で凍らせる。

「やくざの男」とクレジットされている、すがの公(札幌ハムプロジェクト)も、妖しくもキュートな存在でなんとも言えない前説もよかった。

本作は、創作にたずさわるすべての人に問いかける。本物とはなにか、偽物とは。

今日こんなニュースを見た。それまでゴッホの贋作だと思われていた作品が本物だとわかったらしい。美術界は騒動だ。僕には、鴈次郎と清一郎の笑い声が聞こえる。

 

公演場所:札幌市教育文化会館 小ホール

公演期間:2019年2月6日~2月11日

初出:札幌演劇シーズン2019冬「ゲキカン!」

text by 島崎町

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