僕は希望を感じた コンカリーニョプロデュース『親の顔が見たい』中高生チーム

ホントに、驚くほど違う。

おなじ脚本を、おなじ時代おなじ場所で作っているのに、こんなに違うなんて。

札幌を代表するふたりの演出家、納谷真大(ELEVEN NINES)とイトウワカナ(intro)が大人チームと中高生チームに分かれて担当する。演劇とはなんなのか、なにを描き出すものなのか、ふたりの違いは鮮明だ。

納谷担当の大人チームは、前へ前へ物語を進めていく。どんな場面であっても退屈さを許さない。苦しいシーンでも悲しいシーンでも、そここそを「面白く」しなければいけないと思っているかのようだ(「面白い」という意味については大人チームのゲキカンに書いた)。

いっぽうイトウ担当の中高生チームは生々しい。どろりとした人間の存在感や関係性が生み出すゆがみを舞台上に作り出す。その空気感こそが演劇なのだと言わんばかりに。

自殺した中学生。いじめていた(とされる)子どもの「親」を中高生が演じる。しだいに慣れてはくるが、序盤はけっこうめまいのような倒錯を感じる。大人たちが繰り広げる嫌な物語を、彼ら彼女らに演じさせる罪悪感のようなものもまとわりつく。

だけど生々しさはそういう大きな構造だけじゃなく、人物たちの行動原理からも感じられる。大人チームと中高生チームを見比べると違いがわかる。

舞台上、親たちは、人がひとり死んでいるのに真実を歪めようとする。なぜそんなことをするのか。大人チームの親たちは、自分の子どものためだ。子どもを守るというひとまずの理由がある。

ところが中高生チームの親たちは、その人自身の人間性がボロボロこぼれて落ちてしまっているように見える。子どもを守るためというよりも、こんな状況に直面して素の人間性があらわになってしまったように。

大人チームでは、どんなに醜悪な姿をさらしても、子どものためという救いや逃げ道があった(それらも終盤ボロボロになっていくのだが)。ところが中高生チームは丸出しだ。言い逃れ、取りつくろい、事実を湾曲する。本当の自分を吐き出していくさまはグロテスクですらある。

だけど不思議だ。中高生チームを観終えたあと、僕は希望を感じた。大人チームではそんなことはなかったのに。もちろん、多くの人が言及してるように、ラストの中高生たちの表情には、やられる。でもそれを除いたとしても、僕はあの親たちと、それから子どもたちのその後を、けっして最悪だとは思わないのだ。

大人チームと中高生チーム、両方観られて本当によかった。ひとつの脚本にどう向きあうのか、なにを作り上げていくのか、それらが鮮明にわかる。どちらのいい部分にも気づけた。『親の顔が見たい』は両チームを観てはじめて完成するプロジェクトなんだ。

 

公演場所:コンカリーニョ

公演期間:2019年2月13日~2月24日

初出:札幌演劇シーズン2019冬「ゲキカン!」

 

text by 島崎町

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