これは絶対に観るべき作品だ。
時間がないなど、もろもろ不都合があるとしても、2時間空けて、無理をしてでもコンカリーニョに行くべきだ。
質は、いま札幌で観られる最高峰だ。観劇後、劇場を出て思わずため息が出た。「札幌の演劇は、ついにここまで来たんだ」そう思って。役者、演出、スタッフワーク、それから企画力ふくめ、完成度は群を抜いている。
はじめ、2時間という上演時間を知ってやや尻込みした。だけどその2時間がこんな2時間になるなんて。正直いま2時間と書いているが、それが正確かどうかもわからない。なぜならあまりに集中しすぎて時間を観るのも忘れてしまっていたからだ。
この2時間は異様な2時間だ。幕間もなければ暗転もない、2時間ぶっ通しの劇。本編部分には音楽もない。役者は舞台横のイスに座っていて、出番近くになると袖に入り、舞台に出てくる。そうしてそのときの出番が終わるとまた横のイスにもどってくる。つまりずっと客に観られている状態で、役者も観客もおなじ2時間を一緒にすごす。
こんなに集中して舞台を観たことがあっただろうか。僕はそれくらい、息をつめ、必死に舞台を見つめた。たしかカフカが「わたしは本を、つまらないとか、ためになるとかで分けたりはせず、夢中になれるか、なれないかで区別した」と書いていた。
この劇は、笑えるとか陽気になれるとか、そういうものではない。もしかしたら内容が暗そうだからと観劇を躊躇してる人もいるかもしれない。だけど劇の価値とか観るべき基準はそれだけじゃないはずだ。すべての意識を舞台に集中させて、登場する人たちの言葉を聞く、行動を見つめる、その行き着く先を一緒に体験する。そこに、必ず、なにかがある。
コンカリーニョプロデュース『親の顔が見たい』。自殺した中学生をいじめていた(かもしれない)5人の生徒。その「親」たちが学校に呼び出され、ひとつの部屋に集められる。自殺のことや我が子の状況などわからないことだらけだ。教師から話を聞き、親同士でやりとりしていくなかで、真相がしだいに明らかになっていく……はずだったが。
構造として僕は『十二人の怒れる男』を思い出す。断片的な情報をセリフで煮詰めていき、真実を追っていくという上質なエンターテイメントだ。もちろん本作と同じく密室劇。
僕は『親の顔が見たい』をたくさんの人に観てもらいたい。だから(注意深く書かなければいけないけど)本作を「暗いまじめな話」という風に紹介したくない。これは、たずさわったすべての人が全力で「面白く」しようとした作品だ。「面白い」というのは、「笑える」とか「にぎやか」とか「心が弾む」以外にも意味がある。劇の間、集中を途切れさせることなく、舞台に、人物に、物語に没頭させ、観終わったあと不満ではなく充実感や満足感を与える。そういう意味だ。
セリフの伝え方、リズム、テンポ、抑揚を見ればいい。いかに努力して伝えようとしているか。ドアの開け閉めひとつ取ってみても考え抜かれた演出だ。これは社会性という言葉で退屈さを免罪された劇じゃない。重要な、最重要な物語だからこそ、ちゃんと面白くしようとして成功した希有な作品だ。
公演場所:コンカリーニョ
公演期間:2019年2月13日~2月24日
初出:札幌演劇シーズン2019冬「ゲキカン!」
text by 島崎町