茶の間の窓から見える庭には、母親が「しょぼいしょぼい」という亡くなった父親が植えた桜の木。
葉桜が見える。
煮え切らない娘とせっかちな母親が、ああでもない、こうでもないとしゃべり続ける。
その内容は、娘のお見合いのこと。
大正14年に書かれたという岸田國士の戯曲「葉桜」。大正14年と言えば、もう亡くなってしまったわたしの祖母が生まれた頃だ。
平成生まれの娘と昭和生まれの母との札幌での物語として、脚色されてはいるけれど、その思いは古びないものだとしみじみ思った。
ぐずぐずと煮え切らず、少し奥手の娘は自分の気持ちと母への思いで、余計煮え切らない。
熊木志保は、ほとんどうつむいていたのではないだろうか。
母親は打って変わってゴンゴン攻める。せっかちで、ちょっと自分の世界に入り込みがちな母親を磯貝圭子が早口でまくし立てるセリフとともにクルクルと演じる。
大人は子どもが変化してなるのではなく、子どもの自分という芯の周りに、成長するにつれ、大人の部分が層のように重なっていくという話を聞いたことがある。
十分に大人の娘の中には、小さい女の子がうずくまり、ちょっと図々しいまでに堂々とした母親の中には、小さな娘を拠り所とする新米の母親と夫と折り合わずに切ない思いをした若い女が同居する。
大人の女性と小さな女の子、尻を叩く勢いある母親と女の子を愛おしむお母さんとを行き来する様子が、セリフや動きの緩急で表わされているよう。
最後のシーンは、ほんとに泣けた。
以心伝心とか、空気読めとか、そういうのは嫌いなのだけれど、
面と向かって口にせずとも、溢れる思いというものは、やはりあるのだ。
まだ、桜の開花には届かない4月の札幌。
一足早い葉桜のもと、娘と母親のふっくらとした物語は心を温めてくれた。
2019年4月12日 19:30 於:シアターZOO
text by わたなべひろみ(ひよひよ)