わからなくなってきました 総合演劇ユニットえん『ヒネミ』

苦しい観劇だった。なぜなら劇中本物のタバコを使っていたからだ。出演される小西麻理菜さんのツイートで本物のタバコを使用することを知り、タバコが苦手なボクは正直キャンセルを考えた。しかし事前に『ヒネミ』の旧版・新版、その他の本を買って読んだりした時間と労力とお金を考えるとキャンセルするのは惜しいし、関係者の方々にも申し訳ない。早めに並んで最後列の席を確保したが当然のようにタバコの匂いは忍び寄ってくる。2回観る予定だったが、苦しくて夜の部はキャンセルさせていただいた。おそらく札幌では最後列に座っても、タバコの匂いが及ばない劇場は殆ど無いと思う。本物のタバコを使うなと言うつもりはない。詳細発表時にタバコを使用すると教えてくれればそれで良い。タバコが嫌いな人は観に行かなければ良い。ただそれだけのことだ。ちなみにボクが座った席からは小西さんは死角となり声しか聞こえなかった。残念。

それはさておき、感想ツイートをみてみると「難しかった」「分からなかった」というものが多かった。ボクも分からなかったのだが理解の一助になれば・・・、という思いで今回は書いてみた。
以下、本題です。(引用には気を使いましたが誤字・脱字がありましたらすみません。是非原典にあたってみてください。)
 

家の中で石が落ちてくるといった不合理な空間だけど、それは不思議なことではないんだ、という世界に人をすっと引き寄せたいというのが、きっとあったんです。

宮沢章夫インタヴュー『舞台芸術06』p.15

よく分からない作品である。戯曲を書いた宮沢章夫氏は『ヒネミ』を最後に芝居をやめるつもりだったらしい。

最後の舞台だと思って、これまで一切、触れることのなかった私の少年期、そして自分の故郷である掛川をモデルにした戯曲だ。中学生だった私が衝撃を受けた、たとえば三島由紀夫の事件、あるいは自分が住んでいた町で起こったささいな出来事、親族を含めた身近な人たちをモデルに書いた。恥ずかしくて書けないと思っていたことを書き、なにかがふっきれた。

宮沢章夫自筆年譜 『ユリイカ11月臨時増刊号』(2006)pp.196-197

特定の人びとの記憶の集積から成る「歴史」もまた、必ずしも事実のとおりではないことは昨今の歴史家たちが証している。ベケットは『ゴドー』で「歴史」を批判しているわけではないが、その基盤となる人間の記憶が確かなものではないことをあきらかにしている。そして記憶の連なりから成る「時間」や「空間」という概念に疑問を投げかけている。

堀 真理子  改訂を重ねる「ゴドーを待ちながら」(藤原書房)p.190

『ゴドーを待ちながら』の解説なのだが、宮沢氏がベケットの影響も受けていることから『ヒネミ』にも当てはまると思う。
そして主人公の佐竹が作る、かつて町に住んでいた人びとの記憶の集成から成る「地図」もまた、事実のとおりではないのだろう。地図には隠蔽、省略されているものがあると宮沢氏はいう。

「記されなかったものに、地図がもつまたべつの意味がある。」「佐竹の地図には、何が描かれ、何が隠蔽されるのか。」

あとがき 『ヒネミ』新版(白水社)p.149

とはいっても、理解しがたいのはハーメルンの笛のような子供の集団失踪事件があったのに、佐竹も倉橋も日根水を「いい町」といったことだ。佐竹の子供時代に幸せな描写は特にない。あるとすれば「兄さんが死んだとき、すこしだけ嬉しかったことだ。」というセリフがあるくらいで、過去を都合よく美化する人間の滑稽さを表したかったのだろうか。

また、時がたてば町並みは変わる。ボクにも古い地図を集めている友人がいるが、なくなってしまった町を題材にする意味とは何だろうか。

タツジ  山が昔みたいにあれだったらな。
タキコ  昔はね。
タツジ  何もないからさ、今は。

この二人のやりとり(新版p.101)が妙に引っかかったのだが、この点、鴻英良氏の考察が参考になるかも知れない。

かつては存在したが、いまはない町、日根水とは、そのことを忘却することによって、歴史からエチカを剥奪することを可能にし、その存在から責任ということばを奪い去ってきたもの、明治以降の日本の近代化のなかで滅ぼされていったものたちの象徴的な存在、いまは渡良瀬川遊水地としてエコロジカルな空間として祭り上げられてはいるが、その存在を抹殺された谷中村のメタファーかもしれないのである。

ポルノ+虐殺 『ユリイカ11月臨時増刊号』(2006)p.92

タツジのいう山は、例えるなら足尾銅山なのだろうか。違う場面だが、精神障害をもつ設森に「でも、昭和二十四年に比べたら、変わったな。」というセリフがある。その後タツジが急に不機嫌になるのだが、考えようによっては銅山によって潤っていた側の人間かと思えてしまう。二十四年とは昭和ではなく、明治二十四年のこと、田中正造の国会での発言のことなのか。もしそうなら、その時の騒ぎを「お祭り」と設森はいっているようにも思えてくる。突然精神に異常をきたしたという設定の設森は、公害の犠牲者、もしくは口封じの象徴か。包丁を持ち出す場面は隠しきれない怒りを表していたのかもしれない。

引っかかるといえば、森の中での子供達の異様なやりとりもそうだ。それは宮沢氏の政治活動での経験が反映されているようにも感じる。ユリイカの自筆年譜によると、中学1年のとき『共産党宣言』を読み、高校2年の春、ニューレフトの活動に参加。高3の春休み、党派の最高幹部が内ゲバで惨殺され、内ゲバの構造が理解できないうちに、その後十数人の死者が出たという。
個人的に興味深かったのは1995年3月のエピソード。「これはうちの父たちがやったものでしょうか」と知人から電話をもらったという。その人の父親は宮沢氏も活動していたニューレフト党派の幹部。後にそのテロはオウム真理教によるものだとわかったが、身近な人がテロを起こしたかもしれないなんて、なかなか経験できる会話ではない。宮沢氏の写真を初めて見たとき何か凄みを感じたが、このような経験も関係しているのだろうか。

ヒネミを再演した1995年(初演1992年)、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件があり、宮沢氏は後々ここに時代の切断があると考えるようになったという。パンフレットには書いてなかったが、そんな話も頭にあって平成の終わりに「総合演劇ユニットえん」は『ヒネミ』を上演したのではないだろうか。

長文になってしまったので、そろそろ強引にまとめてしまおう。
最初にボクは、よくわからない作品といったが、宮沢氏には『わからなくなってきました』(新潮社)というエッセイがある。「わからなくなってきました」がしっくりくるといった例として石川啄木の作品をあげている。わからなくなりがちな啄木の作品や啄木自身の在りかた。石川啄木のように、わからない作家でありたいとの思い。
「わかってしまったら、つまらないからだ。」 p.12

『ヒネミ』のわからなさは、きっと、そういうこと、なのだろうと思う。
 
 
2019年4/28(日)14:00
扇谷記念スタジオ・シアターZOO
投稿者:S・T(40代)

text by S・T(ゲスト投稿)

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